■あっさり成立した年金改正法
今年の通常国会(第201回常会)は野党が会期の延長を主張するなかで、会期の延長は行われず6月17日に閉会した。150日の会期であったが、新型コロナウイルス感染症が蔓延して世の中が騒然としたためか、あるいは東京オリンピック・パラリンピックの開催を想定し政府が提出法案をあらかじめ絞り込んだせいか、国会審議は盛り上がりに欠け、存在感が薄い国会であった。
この国会における厚生労働省からの提出法案は、労働基準法改正法案、雇用保険法等改正法案、年金改正法案、社会福祉法等改正法案の4本であり、例年よりも少ない提出法案数であった。なお、国会終盤になって……
高齢化の急坂を上るために—医療と介護の来歴を語る④
髙橋紘士×中村秀一
【髙橋】 社会保障の諸制度のなかでも後発である介護保険の財源調達の仕組みには、ほかの制度にない特徴がありますね。
■地方自治体が保険者の社会保険
【中村】 この対談の2回目で、介護保険ができる前の公的な高齢者ケアの問題点について述べました。老人福祉法しか根拠法がなく、財源は税金のみで、サービスの量も十分でなく、受益者についても低所得層に限られる…などです。高齢者数が増えることは確実でしたので、こういうシステムは限界であることが明らかになってきました。国民の4人に1人が高齢者という時代が目前で、新しい介護システムが必要となったわけです。では、どういう制度にするか、大きな議論があったわけですけれど、なかでも財源は最大の課題でありました。
【髙橋】 介護保険制度が議論された90年代後半は、国全体の経済状態が良くなかったですし。
【中村】 そこで、措置方式で利用者を“選別”するのではなく、だれもが一定割合を負担すれば等しくサービスを受けられる応益負担の仕組みを目指しました。その仕組みに変えていくためには、社会保険方式を導入する必要がありました。そこで介護「保険」の構想となり……
「地域」と「在宅」が表舞台に—医療と介護の来歴を語る③
髙橋紘士×中村秀一
【髙橋】 前回までは高齢者ケアや社会保障について、国の政策としての側面から、介護保険創設以前の状況を中心に語っていただきました。ここからは、もう1つの主体である地域にスポットを当てたいと思います。介護保険がなかった時代に、地域包括ケアシステムでいうところの互助、地域住民によるセルフヘルプが自然発生的に起こりました。それが連綿と持続し広がって、介護保険創設に至るパワーの一角を形成したのではないでしょうか。
■民間や地域の力も重要な資源に
【中村】 バブルが弾ける直前の1990年ごろは景気がとても良かったから、まず民間がこの領域に入ってきたんです。各地に福祉公社ができたり……
高齢化社会から高齢社会へ—医療と介護の来歴を語る②
髙橋紘士×中村秀一
■老人医療が大きな問題となった
【髙橋】 介護保険は大改革ですが、その創設に至るまで、バブルが弾けて低成長が続くなかで費用をどうやって賄うのかという大問題がありました。消費税が導入された1989年、高齢者保健福祉推進十か年戦略(ゴールドプラン)が策定されます。中村さんはそのとき…。
【中村】 1989年の年末にゴールドプランの制定が厚生、大蔵、自治の3大臣合意で決定されたとき、私は厚生省の老人保健福祉部の企画官でした。翌年、ゴールドプラン推進のため、老人福祉法など福祉8法の改正が行われ、それに企画官で携わり、そのまま老人福祉課長に就任しました。
【髙橋】 ゴールドプランを作るキーパーソンの役割を果たされた。こうした前段階があって、介護保険が可能になったと思っています。このころは行政官として、どんな思いでしたか。
【中村】 1973年の老人医療費の無料化によって、医療分野では……
高齢者政策の揺籃期—医療と介護の来歴を語る①
髙橋紘士さんが毎回ゲストを招き、医療・介護や社会保障を縦横に語り合います。
最初のゲストは元厚生労働省の中村秀一さんです。
【髙橋】 このウェブマガジンの名称に入っている2040は西暦2040年を意味します。2039年に高齢者の死亡数がピークの167万人に達し、2040年は団塊ジュニアが高齢者にさしかかり、2042年には高齢者数が最多の3387万人と予測される…という、多死社会・超高齢社会が天井に到達する時代です。団塊世代は95歳ぐらいになっています。
(略)
一方では、社会保障というのは市場経済にとって足手まといであり、成長の足かせである、という見方が流布しています。テクノロジーが進歩することや市場が潤うことだけを是とするような風潮もあるし、未来を直視しないで物事が捉えられているようです。医療・介護では、介護予防を推進して健康寿命を延ばせば医療費が安くなるという説が唱えられていますが、専門家はこのような見方に批判的です。
■介護保険の前史としての社会保障
【高橋】 将来と過去のはざまで、立ち止まって考えてみたいと思います。中村さんは現役官僚だった時代に、介護保険の創設や改正を始めとする社会保障の重要政策に節目節目で関わってこられました。また、近年は社会保障の将来像を検討した「社会保障と税の一体改革」に事務局の責任者として関わってこられました。医療と介護の来歴について、改めて伺いたいと思います。
【中村】 将来と過去のはざまということでは、医療・介護のジャンルでは介護保険を軸に考えると、ちょうど今が2040年に向けての折り返し点です。介護保険がスタートしたのが2000年で、今は2020年ですから。
来歴を語る上では、前史としての社会保障、すなわち介護保険創設前の社会保障も語らなくちゃいけないと思うんです。過去にさかのぼると、新しい社会保障制度は第2次世界大戦後にスタートしました。国民皆保険・皆年金が1961年(昭和36年)で、老人福祉法が1963年。1970年代にこれらの運用が本格化して、今の制度と直接つながっていきます。
1990年(平成2年)は、いわば分水嶺でした。戦後ずっと右肩上がりだった日本経済は、このころのバブル景気を最後に下降に転じます。バブルが弾けて30年ほどたちますが、経済はあまり回復していません。
平成に入って少子化が問題となりまして、20世紀終わりごろの社会保障は……
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