訪問介護事業者の倒産件数が過去最多のペースで推移する中、東京都大田区で訪問介護を中心に事業を展開するカラーズは、高齢者だけでなく障害者や子育て中の母親への支援などサービスの多角化や他事業者との連携などにより、中小規模ながら着実に成長を続けている。
大田区内に4つの拠点
カラーズは代表取締役の田尻久美子さんが2011年に設立した。大学卒業後、IT企業で働いていたが、母親が病気で亡くなった時に「看護の手伝いはしていたけれど、疾患を抱えていることの精神的な辛さが理解できなかったことが心残りになり」、母親にできなかった分を支援が必要な人のために行えればと介護業界に転じた。
大手の事業者などで経験を経て独立。当初は「高齢者の介護保険サービス事業者」として訪問介護事業を始めた。
4拠点のうち訪問事業の中心である大森町ホーム
しかし、事業を行っていると、利用者の中に障害を持つ高齢者がいたり、田尻さん自身が3人の幼い子どもを抱えながら、肺がんの父親の介護をしたりする中で「高齢者だけじゃなく、ライフステージに応じて支援が必要な人がたくさんいる」ことに気付いた。
そこで「制度が先にあるのではなく、生活ニーズや地域のニーズを基にやっていこう」と考え、高齢者の介護に加え、障害サービスや子ども・子育て支援などにも着手し、「介護事業者」から「地域を支える事業者」へと事業領域を拡大していった。
「制度とか、障害の有無とか、年代とかで区切ってサービスを提供するのでは、生活全体を支えられないのではないかということで、制度で区切らない、できるだけ面で支援できるように、いろいろなことに対応できるようにしていこうとやってきたら、サービスのラインナップがすごい数に増えてしまった」と田尻さんは笑う。
現在、大田区の大森西地区を中心に本社・大森町ホーム・研修センター・放課後等デイの4拠点を設け、60人の従業員で事業を展開している。他の経営者からは60人で数多くのサービスを提供していることに驚かれるという。
本社には本部のほか福祉用具事業部、居宅介護支援事業部、一般社団法人「大田区支援ネットワーク」の本部がある。全国的にケアマネジャーが不足していると言われているが、カラーズの居宅介護支援事業部は8人のケアマネを抱えている。
大森町ホームは訪問事業の中心で、訪問介護・訪問看護・定期巡回などのスタッフが詰めている。面白いのは本来、駐車場スペースだった場所を畑にしていること。放課後等デイサービスを利用している子どもたちと若いボランティアの人たちで大豆やジャガイモなどを育て、収穫した野菜は自分たちで調理して食べている。
大森町ホームは2階(上)が事務所、1階はイベントを行ったり、地域の人と交流したりするスペースとなっている
研修センターでは初任者研修や「マンツーマン講座」に加え、学研教室など教育・研修の場として使うほか、国内外40カ所以上で子どもたちへの食料支援を行っているNPOグッドネーバーズの活動場所としてスペースの貸し出しも行っている。
ホームヘルパーの半数が常勤雇用
これらの事業のうち、訪問サービスについては、高齢者向けに訪問介護や訪問看護、定期巡回・随時対応型訪問介護看護など、子ども・子育て支援では産前産後ケアや家事代行など、障害サービスに関しては居宅介護や同行援護など、合わせて12種類のサービスを提供している。
これらのサービスを行っているのは30人のホームヘルパーと看護師で、それぞれ高齢者だけでなく、障害者や子育て支援など複数の業務をこなしている。
それが可能なのは、半数が常勤雇用で8割が介護福祉士の資格を持ち、さらに保育士や同行援護の資格など、介護福祉士以外の資格を持っている人も多いためだ。中には美容師の資格を持つ人もおり、高齢者や子育て中の母親、障害者などへの訪問美容も行っている。
職員の有資格率が高いのには理由がある。それは、自ら資格者の養成を行っているからである。事業を立ち上げて間もなく、田尻さんは短大の介護の教員と出会い、東京都の認可を受けて初任者研修を行う講座を立ち上げた。
研修センター
そこで研修を受けた人たちがそのままカラーズに入社するケースが多く、すでに他の資格を持っていたり、働きながら介護福祉士など他の資格を取得したりしていることが、多様なサービス提供の下地になっている。
ちなみに、大田区には視覚障害者の外出を支援する人を養成する同行援護従業者養成研修の講座がなかったので、その講座も自ら立ち上げている。
このように、経営を多角化したことは、経営面でも職員の処遇面でも、大きなプラスとなった。
経営面では「コロナ禍でも介護報酬が厳しくても何とかなっているのは、いろいろな柱があったから。事業が1つだと、その事業がうまくいかなくなった時に会社が立ち行かなくなってしまうのではないか、という思いはあった」と田尻さんは言う。
事業を進める中で、結果として多角化になったといえ、当初から頭の片隅にそうした考えがあったことで、地域のニーズに応じてサービスを拡大していくことに躊躇することはなかった。(下に続く)