東京都内の事業所で働くホームヘルパー4人に、この職種を選んだ理由や仕事内容などを聞く第2弾で紹介するのは、宝ケア株式会社「宝ケアサービス赤羽」(北区)の渡部利恵さんと、NPO法人東京ケアネットワーク「荒川サポートセンターかどころ」の長浦美加さん。2人はともにサービス提供責任者(サ責)を務めており、サ責ならではの大変さについても語ってもらった。
渡部利恵さん―多忙なサ責の職務、達成感が原動力に
渡部利恵さんが勤務する宝ケアは、北区で訪問介護事業を54年間展開しており、宝ケアサービス赤羽は同社が運営している3つの事業所の1つある。
渡部さんがホームヘルパーになったのは、10年ほど前。介護福祉士の資格を取得後、最初はデイサービスで働いたが、子どもが小さかったため、朝が早かったり、夜遅かったりすることもあるデイサービスの仕事は厳しいと感じていたところ、ホームヘルパーの経験を持つ同僚から「訪問介護は時間の融通が利く」と教えられ、転職することにした。
他の人同様、始める前は技術的に1人でできるのか、何かあった時にどう対応したらいいのか、という不安があった。しかし「最初は先輩が同行して指導してくれるし、やってみたら『意外とできる』と感じて続けられた」そうだ。
大変だったのは、初めて重度の障害者を担当した時。最初は痰の吸引や胃瘻などの処置について先輩や上司、サ責が同行して教えてくれたものの、1人で訪問するようになると、慣れるまでは大変だった。
また、「よく『介護は排泄ケアやおむつ交換が大変でしょう』」と言われるけれど、そうした作業より、精神疾患の利用者への対応の方が難しい」という。突然、怒り出した時の対応が難しく、身の危険を感じたら、すぐに退室することにしている。こうした対応の仕方は事務所で決めている。
生活援助は家政婦にやらせればいい、という考え方もあるが「訪問看護など他の機関との連携を含め、特に精神に障害がある人への対応は、専門の教育を受けた介護福祉士でなくては難しいのではないか」と見ている。
ホームヘルパーとしてやりがいがあったと思ったのは、在宅で利用者の看取りを行ったこと。訪問診療や訪問看護、ヘルパーなどが連携し、家族も協力的で、本人の「最期は自宅」でという希望をかなえた時に、心底良かったと思ったそうだ。
多職種連携にもどかしさも
常勤のホームヘルパーとして最初に働いたのは宝ケアとは別の会社で、5年ほど経った頃、その会社のサ責が退職したため勧められてサ責になった。
その職場ではサ責が5人いたものの、全員現場に出るのが常態化しており、事務所には事務員がいるだけで、書類作成も追い詰められてやっている状況だった。
そこで、知り合いのサ責からのアドバイスにより、現在の宝ケアに転職した。ここにはサ責が8人いて、当番制で必ず事務所にいることから、ヘルパーが訪問先でトラブルなどがあった時には、すぐに対応できる。
宝ケアのサ責の基本的な業務は、本来求められている書類の作成である。新規の利用者がいた場合はモニタリングやアセスメント、計画書など1式の書類を必ず1カ月後に、更新の場合は翌月に提出している。
現場にも行くが、それは自分の担当の利用者の訪問に行っているヘルパーが休んだ場合か、別の担当のサ責の都合が付かない場合に限られるので、訪問に行くのは1日に1~2件ほどだ。
サ責として大変なのは、多職種連携だ。「ターミナルの人やADLが低下した人を担当している場合、看護師や理学療法士などと直接会って状況を聞きたいが、担当者会議の時にしか顔を合わせないのがもどかしい」。ただ、MCSのようなアプリを積極的に利用しているところとはうまく連携できている。
最近感じているのは、利用者の家族に精神的な疾患があるケースが増えていることで、事業所にしきりにクレームを入れてくる人がいる。あまりにもクレームがひどい場合は、ケアマネに連絡してサービスの提供を断っている。
渡部さんの事業所では大学の介護専攻の実習生を受け入れている。教授から話を聞くと、訪問介護で働きたいという人はほとんどいないという。その理由として渡部さんが感じているのは「以前の介護福祉士と今の介護福祉士ではレベルが違うこと」。
4年制大学を出た介護福祉士はレベルが高く、ケアプランを立てられるぐらいまで勉強している。「そうした人たちは、掃除や洗濯などといった家事をやりたいとは思わないのではないか」と見ている。
サ責の職務は書類の作成やヘルパーの引き継ぎ、多職種連携、さらには現場にも出るなど多忙を極める。それでも「1日が終わった時に達成感がある」ことが、渡部さんがサ責を続ける原動力となっている。
長浦美加さん―増える看取りへの対応にやりがい
長浦美加さんの社会人としてのスタートは、病院の管理栄養士だった。しかし、この仕事が自分に向いていないと感じたため、ヘルパー2級を取得してホームヘルパーの仕事をすることになった。
介護の仕事を選んだのは、出身地である石川県七尾市に祖父母がいて、帰郷することになっても世話ができること、介護保険制度が始まったばかりでホームヘルパーが不足していて賃金も良かったことなどがある。
ちなみに、すでに祖父母だけでなく両親も他界しているが、今回の能登半島地震では弟家族が被災し、現在、金沢市で避難生活を送っているそうだ。
介護職の中でもホームヘルパーになったのは、友人がこの仕事をしていたほか、栄養士の資格を持っているので、栄養のバランスを考えながら利用者の食事を作ってあげることができると考えたため。
最初に入社した事業所では、時間の融通が利くことから登録ヘルパーとして働き始め、その後、常勤ヘルパーとなり、事業所の補助もあってヘルパー1級を取得し、サ責を務めていた。ただ、サ責になったのは希望してではなく、あくまで事業所の都合によるものだという。
かどころに移ったのは、自宅から近いことが理由だ。最初の事業所は台東区にあり、しかも本部がある北区にも行かねばならないことがあったので、通うのが大変だった。
かどころは訪問介護事業所を1カ所、小多機を3カ所運営しており、長浦さんは最初から訪問介護事業所のサ責となった。
介護でホームヘルパー以外の仕事をしようと思わないのは、ヘルパー2級を取得する研修でデイサービスに行った際、レクリエーションのリーダーを務めるのは苦手ということを実感したことがある。
ホームヘルパーとしてのやりがいは、利用者と一緒に家事などをやっているうちに、利用者ができることが少しずつ増えていくのを見ること。
年数を重ねるうちに過去の経験から「この人にはこういうふうに対応すればうまくいくのではないか」と、対応の引き出しが増えていくのを実感するのも楽しいし、本人や家族から感謝の言葉をかけてもらえることも大きい。
ヘルパーの高齢化に危機感
「施設勤務に比べて大変そう」という理由でホームヘルパーになるのを避ける人たちがいることに対しては、現在、同じ事務所で事務兼介護の仕事をしている25歳の女性の例を挙げた。
彼女は長浦さんの知り合いで、介護の仕事をするというので「施設より訪問の方が、力がつくからやってみれば」と誘い、一緒に働くことになった。
彼女の訪問に対し、利用者の女性たちは、最初は「年配のヘルパーの方がいい」と言っていた。しかし、今は逆に「『おばあちゃんが若い子を育ててあげる』というような感じになって、『若いヘルパーに来てほしい』と言うようになった」そうだ。
彼女は、今では「訪問介護は楽しい」と話しており、長浦さんは「大変そうに見えるけれど、こうした触れ合いを知れば、ホームヘルパーをやってみたいと思う人が増えるのでは」と話している。
また、他の人たちも指摘しているように、資格取得の際の研修で、ホームヘルパーの仕事はビデオで学ぶだけになっていることも問題と指摘する。
長浦さんが資格を取った頃は現場に行き、大変さだけでなく利用者とコミュニケーションを図るホームヘルパーの姿などを実際に見て、仕事の内容を実感できたことがホームヘルパーを選択する際の判断材料となった。
サ責を務めていて大変なのは、現在、上述の25歳の女性と2人だけで事務関係の作業を行わなければならないこと。ホームヘルパーも不足していて、ほぼ1日中、自分も訪問介護に出ているため、書類の作成などを早朝に出勤してやらなければならない。
ヘルパーに関しては、他の事業所と同様、かどころでも登録ヘルパーは高齢化しており、「あと10年すれば、ほとんどのヘルパーが80代になってしまう」との危機感がある。
こうした状況を改善しようと、事業所ではサ責とホームヘルパーを募集しているが、荒川区ではどちらも不足しているため、応募してくる人はおらず、当分、問題は解決しそうもない。
最近の傾向としては、看取りが増えている。「先日も病院から退院した方が亡くなるまでの4、5日間、訪問看護の合間に清拭したり頭を洗ったり、体をきれいにしてあげたところ、本人と家族がすごく喜んでくれた」そうで、これもやりがいとなっている。
ただ、今回の介護報酬改定が訪問介護に厳しい内容となったことから、今後も在宅できちんとした看取りが行っていけるのか、懸念している。
このように、訪問介護の今後については不透明な部分はあるものの、「利用者が自宅で自分らしく過ごし、そして慣れ親しんだ自宅で迎えられることを手助けができる現在の仕事を続けていきたい」というのが長浦さんの願いだ。