厚生労働省が、「特定技能」や「技能実習」などで働く外国人介護職に、訪問介護に従事してもらう方針だという。実施は来年度の見通しだ。
日本人の介護職は「初任者研修」を終えていれば、訪問介護に携わることができる。だが、外国人介護職は今は、さらに上級の資格である「介護福祉士」を取ることが、訪問を行う事実上の要件になっている。これを変更し、日本人と同じスキルがあれば訪問介護に従事できるようにするのだという。
介護の本質は生活の継続を支援すること
従事する要件に差を設けていた背景に、日本語によるコミュニケーションが不十分だと訪問介護はうまくいかない、という配慮があったことは理解できる。それはそうだろう。訪問介護では、利用者のニーズを汲み、個別のサービスを提供することが必要になるからだ。
だが、訪問介護のノウハウを伝えずに、いったい今までどんな介護を伝授してきたのだろう、とも思う。介護の本質は、要介護の人の生活の継続を支援することのはずだ。
自宅で利用者の生活を見て、どう暮らしたいかを聞き、日々の目的を共有し、どんなサービスで暮らしを支えるかを考える。その訓練なくしては、介護を本質的に理解できないのではないか。
技能実習は特に、外国人に介護の技術を学んで持ち帰ってもらうことが目的なのに、介護の基本である「生活の継続」を教えずに、どんな技術を移転してきたのだろう、と思ってしまう。
訪問こそ介護を理解する体験になる
外国人介護職の多くは、特別養護老人ホームや有料老人ホーム、グループホームなどの施設で働いている。
施設で働けば、助けが必要な時、すぐに他の専門職の支援を受けられる。利用者も外国人介護職も安心だ、という理由にはもちろん説得力がある。それも否定しないが、同時に、施設で介護職が不足しており、人材を求める声が強かったから、ではないかとも思う。
介護の技能を本気で伝えるつもりなら、施設介護に携わるだけでは不十分だろう。訪問介護に携わることは、介護を理解する必須の体験になるはずだ。外国人介護職の安心にも、利用者の不安払拭にも目配りし、はじめは指導者の同行を丁寧に行い、安心できる方法でスタートしてほしい。
訪問介護サービスの抜本的見直しを
今回の方針転換の背景には、訪問介護の致命的な人手不足がある。だが、足りないから外国人を充てるという“その場しのぎ”では、外国人介護職を施設介護に専念させていたのと変わらない。
1つ、期待していることがある。外国人介護職の訪問に門戸を開くことで、フルタイム労働者が訪問介護の主な担い手になる新しいモデルを確立してほしい、ということだ。
特定技能や技能実習で働く外国人介護職はすべてフルタイムの労働者だ。一方、今、訪問介護に携わる人の多くは「登録ヘルパー」と呼ばれる働き方をしている。
仕事の依頼があるときだけ業務が発生し、直行直帰で働く。働いている時間の単価はそれなりに高くても、移動時間や待機時間が生じて、拘束時間の割に収入が低かったり、不安定になったりしがちだ。
こういう働き方は、女性の再就職先がパートタイムしかなかった時代のものだと思う。この雇用形態を主流にしたままでは、訪問介護は早晩、立ち行かなくなる。利用者はもちろん、もっと労働者も大切にする仕組みを確立してほしい。
訪問介護で登録ヘルパーが主流になっているのは、利用者から求められるサービスとサービスの間に「隙間」が生じても、登録ヘルパーなら直帰させたり、隙間時間に賃金を払わなかったり、払ってもわずかだったりすることで、事業経営のリスクを回避できるからだろう。
いわば、事業経営のリスクを、登録ヘルパーに肩代わりさせている格好。おおもとの原因は、訪問介護の報酬が時間単位の出来高であることだ。
フルタイム労働者を充てる場合には、隙間時間をもっと効率的に使う工夫が必要になる。例えば小規模多機能型や24時間定期巡回随時対応などのパッケージ型(包括報酬)サービスを充実させていくことなどが考えられる。
どうすれば、訪問介護をフルタイム労働者の仕事として成立させ、利用者に必要なサービスを提供し、事業所の収支が成り立つか、現場でも知恵を絞ってほしい。
それが成り立つモデルを作り、そこに介護報酬がつくようにしなければ、訪問介護に将来はないと思うのだ。
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駅コンコースの隅っこでメールを打っていたら、道を聞かれた。女性の2人連れだ。教えていたら、後に別の女性が並んで、再び道を聞かれた。
道を聞かれるのは久しぶりだ。ググれば済む時代だからだろう。
地下街はそうはいかないのだと再認識しながら、こういうのも悪くないと、懐かしく、温かい気分を味わった。
時不知すずめ(ときふち・すずめ) 医療や介護について取材する全国紙記者