地域包括ケアは高齢者偏重ではない
昨年12月、国立市長選挙が行われ、現職の候補が新人に敗れた。わずか582票差であった。私は現職候補を応援し、街頭にも立った。
2011年に市長に就任した佐藤一夫氏と、いわば二人三脚で、私は地域包括ケアを実践してきた。地域包括ケアって一体なんだろう。介護が必要になったら施設に入るのがベストじゃないのか。2011年は、まだそんな時代だった。
その佐藤市長が在任中の2016年11月に逝去された後も、後任の市長と協力関係を築いて、在宅ケアや地域医療の普及・向上に努めてきた。その市長が敗れた。
今回の選挙でも、市民の皆様が最後まで地域に暮らし続けることができる社会を目指す、と公約に掲げ、訴えた。しかし、国立市民はそれよりも、新人候補の「子育て支援を重視し現役世代に選ばれるまちづくり」という公約を選んだことになる。
さらに新人候補は当時の市政を「子育て支援が後回しにされている」と批判し、暗に「現職は高齢者施策しかやっていない」と腐した。
地域包括ケアは決して高齢者だけを重視する政策ではない。しかし、現職は高齢者を偏重し子育て世代には冷淡というイメージが先行し、世代間対立があおられてしまった。これから85歳以上の高齢者が増え続け、現役世代は減少する、ということは、厳然たる事実なのに、である。
国立市民は大丈夫なのか
昨年行われた東京都知事選や兵庫県知事選では、SNSが投票行動を大きく動かしたと言われる。虚実がないまぜの投稿に市民は翻弄されている。
国立の市長選でも、同じようなことがあったのだろうか。私が街頭で応援演説していたら、すぐ近くで男がマイクを使って大音量で話し始め、妨害まがいのことをされた。市長選の応援は過去にも経験しているが、そんなことはかつてなかった。
市民の「民度」が低下しているのだろうか。実は私は、国立市民は大丈夫だろうと思っていた。私が市民と接する機会は、臨床現場はもちろん、各種の講演会やセミナー、認知症カフェなど、さまざまにある。皆さん、勉強熱心でまじめな人ばかりだ。だから、国立市民全体を信頼していた。
しかし今回の選挙で、それは幻想だったのかもしれないと思い始めている。地域包括ケア、地域共生社会。その主役はすべての市民であり、高齢者、障害者、子育てといった領域を限定しない。民度が低下してしまったら、地域包括ケアも地域共生社会も実現は遠ざかる。
終戦直後に首相を務めた幣原喜重郎は、「冷静な態度で公平な意見を公表する者は、ややもすれば愛国心を疑われ、悲憤慷慨の口調で反感を扇動する者は、聴衆の喝采を受ける」と演説した。全くその通りだと身をもって感じている。

新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。