家庭医との信頼関係のもとで
10月にオランダを訪問した。オランダは安楽死の“先進国”で、2002年に世界で初めて安楽死を合法化し、さらに昨年、1~11歳の子どもも条件付きで安楽死の対象となった。そんなオランダの現状を聞いてきた。以下は、私が現地で直接聞いた話に基づく。
2019年の安楽死は6361件で、これは総死亡の4.3%というから、今は5%近くになっているだろう。安楽死を選択した理由は、「意味のない苦しみを避ける」が65%である。安楽死の方法は、医師の注射によるものが90%に達する。
オランダには家庭医制度がある。人生の終末をどのように迎えたいか、迎えたくないか、健康な時から安楽死も選択に含めて家庭医と話し合っている人もいる。それを、「安楽死の一般要請」と表現するそうだ。「安楽死トーク」という過程もある(後述)。
家庭医との話し合いの内容は記録され、話し合うたびに変わっていくことも珍しくないし、前回の話し合いで決めたことを撤回してもいい。オランダ在住の日本人にも浸透していて、その1人で50年以上オランダに住んでいる人は「死ぬことは私たちの権利」と断言していた。
オランダの安楽死は、家庭医との信頼関係の上に成立しているのだとつくづく思う。ふだん医療とかかわっていない人が重い病気になって、安楽死を望んでも、それは無理筋というものだ。
安楽死トークというプロセス
合法化された当初、オランダの安楽死は医師目線だった。つまり、安楽死させる行為を医師は行ってもよいと認める法律であった。
その後、市民目線というか、だれにも死ぬ権利を認める方向に進んでいる。2020年、75歳以上であれば病気でなくても安楽死を認める法案が下院を通過した。
オランダではこのように、安楽死についての規制がどんどん緩くなっているようにも思える。実際のところは、それほど簡単に安楽死できるわけではなく、「安楽死トーク」を経て「安楽死の実施」に至るそうだ。
「安楽死トーク」とはオランダ語の表現の直訳で、言葉から軽い印象をもってしまうが、死ぬことを視野に入れるようになった患者と、その家族や友人とが、家庭医をはじめとする医療者と話し合う過程である。
そのプロセスは、患者がこれまで生きてきた自分のアイデンティティを振り返るものになるだろう。そのうえで、患者がいま直面する苦しみに言葉を与え、周りの人たちとつながり、医療者と共有する。そうして患者は、自分が社会的存在と確認できる。
家族・友人や医療者にとっては、患者とのつながりを深め、患者が生から死へと移行する過程の目撃者となる機会になる。その過程を経て、安楽死が実際に行われるそうだ。ACPも難しいことがままある日本と比べると、驚きしかない。
ACPにネガティブリストを
安楽死は医師にとってのポジティブリスト(医師がやってよいこと)の1つだ。ポジティブリストとは「やってよい」ということにすぎず、「やらなければならない」わけではない。つまり、医師は拒否することができる。
医師のネガティブリスト(やってはいけないこと)もある。これは医師には拒否できない。延命治療、たとえば心肺蘇生を拒否すると表明されたら、医師は心肺蘇生してはならない。
日本では安楽死の議論が進まない。家庭医の制度もない。安楽死が法制化されるとしても、かなり先のことになるだろう。
まずは、自分の人生にどう幕を下ろすかを考えることが必要だと思う。ACPで「わたしのネガティブリスト(=やってほしくないこと)」を作ってみる、というのは、取り組みやすいような気がする。
新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。