田村明孝×髙橋紘士
たむら・あきたか
株式会社タムラプランニング&オペレーティング代表取締役。高齢者住宅に関するコンサルティングやマーケティングリサーチ、自治体別需給予測などを手掛ける。同社ウェブサイトのコンテンツ「田村明孝の辛口コラム」や「ホスピスホームの実態!」で業界の問題を追及。
「辛口コラム」
https://www.tamurakikaku.co.jp/cat_housing_report/column
「ホスピスホーム」
https://www.tamurakikaku.co.jp/cat_housing_report/hospice-home
たかはし・ひろし
介護・福祉・医療政策を研究。特殊法人社会保障研究所研究員、法政大学教授、立教大学大学院教授、一般財団法人高齢者住宅財団理事長などを歴任。『地域包括ケアを現場で語る』(木星舎)ほか著書多数。
高齢者住宅の誕生から現在
髙橋 本日は田村明孝さんと、有料老人ホームなど高齢者の住まいについて語り合います。田村さんといえば、高齢者住宅の業界ウォッチャーの第一人者として知られます。まず、高齢者住宅の歴史を振り返りましょう。
田村 私と業界との付き合いは50年ほどになりました。高齢者住宅・施設の変遷を追うと、以下のように、いくつかの時期に分かれます。
高齢者住宅の歩み
タムラプランニング&オペレーティング作成資料をもとに編集部作成(一部改変)
最初は「高齢者住宅黎明期」。1970(昭和45)年、有料老人ホームの先駆けとなるものが出始めました。有料老人ホームはその少し前、1963(昭和38)年に制定された老人福祉法の29条に「届け出制」と規定されたことをきっかけに登場しました。
髙橋 老人福祉法では、行政が関与する措置施設の「養護老人ホーム」、今で言う要介護老人を入居させる「特別養護老人ホーム」、健康老人向けの「軽費老人ホーム」が施設体系として規定されました。
養護老人ホームは生活保護法に規定された「養老院」を継承した、低所得階層向けのいわゆる救貧施設でした。特別養護老人ホームの入居には所得制限があり、軽費老人ホームは割安な料金で入居できました。
これらに加えて「有料老人ホーム」も法に規定されたのですね。有料老人ホームは事業者が契約によって入居させるので行政は関与しないものの、届出制としたことで行政が関与する余地を残しました。
田村 1980(昭和55)年、有料老人ホーム「向陽会サンメディック」がずさんな経営から倒産し、社会問題化します。有料老人ホームはどうなるんだ、という機運から全国有料老人ホーム協会(有料協)が設立されました。
その後、「聖隷福祉事業団」「日本老人福祉財団」が有料老人ホーム事業を、「中銀ライフケア」がケア付き高齢者マンション事業を始め、これら3法人がほぼ独占的に供給するようになります。これが有料老人ホームすなわち高齢者住宅の先駆け、黎明期と言っていいと思います。
髙橋 聖隷などの3ホームは、入居金など費用さえ払えば入居できたんですか。
田村 費用のほかに入居時自立、自分で自分のことができるのが入居条件でした。人生すごろくで言うと、一財を築いた“上がり”の人たちが移り住むようなイメージです。それが黎明期の有料老人ホームです。引退した政治家や著名な文化人といった人たちが大勢入居していました。
バブル期からバブル崩壊へ
田村 次は1986~90(昭和61~平成2)年、バブル経済の時期で、高齢者住宅にとってもバブル期でした。地価が高騰し、有料老人ホームは一種のブームとなって入居金も高額化しました。5000万~1億円は普通で、高いものは4億円、なんていうのが出たのもこの時期です。
1990年に福祉八法が改正されます。この時期は有料老人ホームの不正解消のために厚労省がいろいろ動き出した時期でもありました。指導・指針の改定が立て続けに行われ、現在のスタイルの有料老人ホームがスタートしたといえます。
その次は「高齢者住宅バブル崩壊期」。2000年になる少し前です。有料老人ホームの経営破綻が相次ぎました。バブル期に続々と供給されたホームに入居者が集まらず経営破綻、というパターンです。
当時、元気がよかったのは都道府県がやってる住宅供給公社が供給するシニア住宅でした。民間のホームは倒産するけど公社なら安心というわけで、募集をかけると倍率が10倍になるような部屋も出るような人気ぶりでした。
またこの時期、「無届ホーム」がものすごく増え、「介護型有料老人ホーム」も登場しています。
髙橋 「無届」の問題は今も続いていますね。高齢者住宅財団は私が理事長を務めていた2016(平成28)年度、無届老人ホームの実態を体系的に調査しました。これは初の調査で、当時、大いに注目されました。
田村 経営破綻などの問題が起きるたびに、届出の際に必要な書類が増え、内容も詳細になっていきました。届出が煩雑になって無届が増えたんです。ただ最近は厚労省が目鯨立てて追いかけてますから、無届はずいぶん減ってきています。
業界を一変させた介護保険
田村 2000(平成12)年に介護保険がスタートすると、有料老人ホームの性格も一変します。「介護保険スタート期」です。
介護保険制度に基づいて「特定施設入居者生活介護」というサービス類型ができ、介護報酬の対象となりました。すると、最初から要介護者が入居する「介護付き有料老人ホーム」が主流になっていきます。
それ以前の有料老人ホームは、入居時自立の人が入居する大型施設だったんですけど、2000年を境に、完全に入れ替わりました。
介護付き有料老人ホームには3対1の人員基準(入居者3人に対し介護職員または看護職員1人)があって、スタッフが常駐している安心感があり、要介護者の住まいとしては介護付きホームだ、という認識が生まれました。
とはいえ、それも2005(平成17)年までのこと。06年に総量規制が出され、介護付き有料は増やさない方針を掲げる自治体が多くなります。介護保険事業計画で数量を抑える方針(「下」で詳述)はそこから出てくるんです。
2000年に介護保険が始まり、質の良い介護を提供しようという風潮が生まれましたが、2006年以降、業界のそういう空気がコロッと変わっていったと思います。
髙橋 元気だった人が突然、脳卒中を発症する。入院して緊急治療が終わると退院しなければならないけど、まひが残って介護が必要。でも家に介護する人はいない。そこで途方に暮れる人が続出します。
介護保険創設のころは、そういう行く先がない人をどうするか、そういう人のための介護サービスを受けられる居所(きょしょ)が必要だ、という社会の要請が高まっていました。
特定施設入居者生活介護に介護保険を適用したのは、英断だったと思います。そのおかげで介護付き有料老人ホームがビジネスモデルとして成立しました。
田村 本当に介護保険は業界にとって効果的でした。質の良い住まいもそこで登場したし、その一方で悪質なところも出てくる時代になりました。
「介護保険浸透期」は、新ゴールドプランが策定されたり、「高齢者専用賃貸住宅」(高専賃)ができたり、ドラスティックにいろんな制度が動き出した時期です。
居住面積を充実させて高齢者の住まいの質を向上させよう、という動きもあり、わりと良い方向に動き出した時期ともいえます。ビジネスモデル化したことで、玉石混淆と言えるほど、有料老人ホームの幅が広がった。
外観はそこそこ良くて費用も割安だけど、入居してみたらサービスは劣悪だったというホームが紛れ込む時代に入ってきました。良いものも悪いものも出てきた時期だと思います。介護付きは総量規制がかかってあまり増えない一方で、様々な住宅型有料老人ホームが登場しました。
認知症のグループホームはものすごい勢いで増え、高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)・高齢者専用賃貸住宅(高専賃)もあり、小規模多機能も…と、いろんなサービス類型が出てきました。
(「中」に続く)