木村利人さんを再読する
生命倫理(バイオエシックス)の研究者で、日本生命倫理学会の会長を長く務められた木村利人さんの『自分のいのちは自分で決める』(2000年、集英社)を再読した。
とても面白い。第1章から第4章まで、順に「生」「病」「老」「死」について述べている。各章から、印象に残る節見出しを拾ってみよう。
「自分のいのちを自分の手に取り戻す」(第1章)
「病気は患者自身が治すもの」(第2章)
「高齢者の生きがいと健康づくり」(第3章)
「死なせないのが医療ではない」(第4章)
これらすべて、この本が出て25年後の今日、私たちが在宅医療で心していることばかりだ。
この本より10年以上前の1987年に刊行された『いのちを考える:バイオエシックスのすすめ』(日本評論社)には「自然な生の終り」という節があって、経鼻栄養を外すことを認めてほしいと、本人と後見人である甥が裁判を起こす実話が紹介されている。そして終末期の病床に臥す人に何が必要かを、丁寧に丁寧に記述する。
87年といえば、昭和62年だ。それから年号が2つ進んだ現代もなお、胃ろうや経管栄養をめぐって議論がなされていることを思うと、木村さんの先見性に感服するしかない。今日の医療現場に生命倫理は生かされているか、考え込んだ。
臨床倫理の4分割法
前回触れた医療倫理の4原則(自律性の尊重、善行、無危害、公正)とは別に、臨床倫理の4分割法という考え方もある。それはJonsenらが1992年に示した考え方で、治療方針などを決める際に用いられる。(下図)
医学的適応
(与益・無危害)
本人の意向
(自律尊重)
QOL
(本人の生活・人生)
周囲の環境・状況
(家族、経済、宗教など)
この4項目を検討して方針を決めるわけだが、これらがすべて十分に成り立つ状況は、実は少ない。
トレードオフというかジレンマというか、医学的適応を重視すれば、QOLは落ちる。QOLを豊かにするなら、医学的手段は少ないほうがいい。QOLと本人の意向が不一致のこともある。本人の意思と家族の考えが合わないことは珍しくない。
和辻哲郎が倫理の倫を「なかま」、理は「ことわり」「すじ道」と説いたことは前回紹介した。これら、並立しえない4項目の全体像こそが、「なかま」なのではないだろうか。
そして倫理とは、その全体像を十分に吟味しながら「ことわり」「すじ道」を追求すること。したがって簡単には答えは得られず、医療者は悩みぬく。
ところが、実際の臨床では「倫理上の理由で積極的な治療はできません」と、倫理という言葉が伝家の宝刀のように、患者を説得するためにあっさり使われる。明らかに誤用されている。臨床倫理の4分割に拠って、もっと悩んでもらいたい。そのあとで最善の答えが見つかるだろう。

新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。