2023年最初の原稿なのでまずは、ご挨拶から。年末年始、どのようにお過ごしでしたか。よい年明けを迎えられたでしょうか。
私は、年末年始を京都で過ごしました。私たち夫婦には3人の子(長女、長男、次女)がおり、次女夫婦が京都に住んでいます。長男夫婦は現在大阪におり、昨年、両夫婦に第一子が誕生しました。
そこで、東京にいる私たち夫婦と長女夫婦(小学1年生の息子がいる)が京都に行き、お正月に京都で「一族集合」となりました。初めて京都で迎えるお正月でしたが、いつもは混雑する観光スポットも年末は空いており、なかなか良いものでした。
*
1月4日、岸田首相は「異次元の少子化対策」を打ち出しました。年末に政府がまとめた来年度予算案では防衛費が大幅に伸びました。その財源をどうするか、増税するか否かが焦点となりましたが、一応増税ということで決着しました。
首相が増税にこだわった結果ですが、今国会には増税法案を提出しないという妥協の上です。自民党内の政争の火種になるという見方も強いようです。
首相は昨年4月に「将来的な子ども予算倍増」を約束していました。しかし、昨年10月の国会答弁で、子ども・子育てについては今年の骨太方針で取りまとめると、早々に先送りをしました。
年明け早々の「異次元の少子化対策」発言は、「防衛費だけ突出」という批判をかわす狙いがあるのだと思います。
首相の指示で、少子化政策担当大臣の下に設置された関係府省会議で3月中に少子化対策の内容を固めるとしています。肝心の財源問題は、統一地方選挙前の議論を避け、例年6月に決定する骨太方針までは明らかにしないのではないでしょうか。
1月19日の関係府省会議の初会合では、①児童手当などの経済支援、②学童や病児保育を含めた幼児・保育サービスの拡充、③育児休業の強化や働き方改革、の3つの論点を検討し、3月末までに政策のたたき台を作るとされました。
児童手当の拡充がにわかに焦点に浮上しました。首相が「異次元の少子化対策」を述べた同じ日に、東京都の小池知事が、所得制限を設けず1人当たり月額5000円を18歳まで給付する方針を表明したことも影響したのかもしれません。
そのような中で自民党の茂木幹事長が1月25日の衆議院本会議における国会質問で「すべての子ども育ちを支える観点から、所得制限を撤廃すべきだ」と明言し、大きな波紋を呼びました。このことを理解するためには、民主党政権時代の「子ども手当」の経緯を知ることが必要です。
2009年の総選挙に向けたマニフェストで民主党は「子ども手当」の創設を掲げました。15歳未満の児童を扶養する保護者に月額2万6000円の子ども手当を支給するというもので、所得制限はありませんでした。
8月の総選挙で勝利し、鳩山首相が誕生し、2010年3月に子ども手当法が成立し、2010年6月から支給が開始されました。
しかし、民主党政権は財源不足に苦しみ、子ども手当はマニフェストの半額の月額1万3000円となりました。この子ども手当について、野党となった自民党は「バラマキの典型」として、口を極めて強く批判しました。所得制限がない点も自民党の標的になりました。
2011年3月に東日本大震災が発生し、その復興対策が緊急の課題となりました。民主党は2010年夏の参議院選挙で敗北し、「ねじれ国会」となっていましたので、復興対策の推進には野党の協力が不可欠でした。
そのためには子ども手当を廃止せざるを得ず、子ども手当は2012年3月までの支給で廃止され、改正した児童手当法に移行することになりました(2011年8月の民主・自民・公明の3党合意)。所得制限も復活することになりました。
このような経緯を踏まえると、茂木幹事長の所得制限撤廃発言は、現在の野党の側からすると、自民党の「変節」ですし、「反省しろ」ということになります。
この問題は、政党の社会保障政策のあり方としても大変興味深いものがあり、今後の動向を注視しなければなりません。
にわかに浮上した所得制限撤廃問題で、そもそも児童手当法制定当時、所得制限についてどのような議論があったのか調べてみる必要があると思い、厚生労働省の図書館に行くことにしました。
*
そもそも厚生労働省には用事がない限り行かないので、行くことは年に一度あるか、ないかです。新型コロナ感染症が流行してからはなおさらです。
厚生労働省に入館するためには、入館証が必要です。そのため図書館に電話したところ、コロナ前と異なり、そもそも図書館自体が予約制になっていました。
利用方法は、①当日の予約はダメ。②希望日時を第3希望まで書いて、申請する。③閲覧したい本を事前に検索し、書名を申請しておく(5冊まで)。④閲覧時間は1時間以内。⑤書庫には入れない。⑥コピーはできない。…ということでした。
以前は、事前予約なしで、書庫にも入れてもらえ、コピーも有料でしたができたのですが。
以上の手続きをすませ、厚生労働省の19階にある図書館に行きました。児童手当法制定当時に出版された『児童手当法の解説』(坂元貞一郎著、1972年)と、所得制限といえば老齢福祉年金にもあったなと思い『国民年金法の解説』(小山進次郎著、1959年)の閲覧を申し込んでおきました。
指定時間である10時40分に到着すると、閲覧者の席に本が用意されていました。4席ほど閲覧席がありましたが、この時間(1時間)には私以外の閲覧者はいませんでした。
閲覧の目的である所得制限については、児童手当についても、老齢福祉年金についても十分な情報をえることができましたが、ここでは触れません。児童手当は日本の社会保障制度において最後に整った制度ですので、この法律の制定経緯を興味深く読みました。
『国民年金法の解説』は本格的な著作で、当時の厚生官僚の水準の高さを示す立派な本だと感心しつつ、ぱらぱらと頁をめくりました。
すると、国民年金制度の創設の背景を説明する部分で、「人口の高齢化」がありました。当然だよなと思いながら、そこに示されている推計将来人口を見ました。
昭和30年から昭和90年までの総人口が示されていました。昭和30年の総人口が8900万人であり、昭和75年に1億100万人、昭和90年に8900万人となっていました(コピーがとれず、時間の制約があり急いで読んだため、不正確かもしれません)。
頭の中で昭和75年=2000年、昭和90年=2015年と計算し、2000年以降、人口減少社会になることが示されていたのだと、びっくりしました。
この推計(1955年の国勢調査がベース)では、総人口は過少(私たちが承知しているとおり実際の総人口ピークは2008年、1億2800万人でした)であったのですが。
また、高齢化の見込みも、2015年で高齢化率20%程度とされていました。高齢化率30%に迫ろうとしている現在を、この推計をした人たちが見られたらどのように思われるだろうかと考えてしまいました。
当時の人口に関する議論の雰囲気を知るため、国立社会保障・人口問題研究所のホームページを探してみると、「人口問題研究所創立20周年特集号」である1960年の人口問題研究所年報を見つけました。
そこに創立当初の企画部長であった北岡寿逸氏(執筆時は国学院大学教授、経済学博士)の「人口政策の回顧と展望」があったので、紹介します。
そこでは、戦後の日本の出生率は1947年から57年の間に「各国の驚異となるまでに減少」し半減したこと、最近(1959年)の出生率で日本より低いのはスウェーデン、デンマーク、イギリスの3国しかないことが示されています。
この人口減少は「一頓挫」し、「今後出生率が減少するか、増加に転向するか、私には予言できない」。しかし、「わが国が人口の増加を抑制するという人口政策の基調はこれを変更すべきではない」としています。つまり、当時は人口過剰が最大の問題であったのです。
その理由として、北岡氏は、次のように述べています。
①わが国の生活水準の向上の障害物は依然として「人口過剰」である。特に農業人口が過剰である。
②労働力過剰のために生産力の向上も生活水準の向上も阻止されている。
③合理化、オートメーション化等は「今後わが国産業の向かうべき動向」だが、「人口過剰の真ん中において行われる限り、それは労働者にとって脅威である」。
④堕胎防止のため、受胎調整の普及を一層行わなければならない。「出産抑制の手綱をゆるめたならば、出産率は増える。この点からも出産抑制の手綱をゆるめることは許されない」。
執筆当時の北岡氏が知ることができなかった1960年代の高度経済成長が、①〜③の懸念は乗り越えられたことを私たちは知っています。また④については、出産増を目指す政策をとっても容易に出生率が向上しないことから、全く的外れだったように思われます。
*
コロナの影響で作業が遅れていた新・将来推計人口が今年は公表されるでしょう。50年先までの推計と、100年後までの参考推計が公表されると思います。2017年の推計では2065年の総人口は8080万人でした。
私が厚生労働省図書館で1955年当時の人口推計を見たように、2070年代の読者がこの推計をみて「当時の人たちの推計は〇〇だったな」とつぶやく姿を想像して、複雑な気持ちになりました。
50年先の読者は、2023年当時の「異次元の少子化対策」の議論について、どう思うでしょうか。私たちが北岡氏の論文を読んで思うことと、同じようなことを感じるのでしょうか。