岐阜県内で多彩な事業を展開
髙橋 1986年に社会福祉法人サンビレッジ新生苑は「社会福祉法人新生会」と法人名を変更します。新生メディカルが在宅介護事業を始めたのが88年。まさに高齢化の進行に合わせて、新しい事業展開が始まったのですね。
78年の厚生白書は老親と同居する家族を「福祉の含み資産」と形容しました。80年代に入るとそういった日本型福祉社会論も色あせていき、石原さんが前回おっしゃった、あるべき高齢者ケアへの模索が政策レベルでも始まります。89年に策定されたゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十か年戦略)はその象徴です。
新生会も新生メディカルも、この時代の動きと軌を一にして多彩な事業を展開していきますね。夢中になって創っていかれた感があります。
石原 そうでしたね、今思えば。毎年じっとしていませんでした。
髙橋 新生会の面白いところは、介護だけにとどまらない点です。介護サービスがコアではあるけれど、地域全体を大切に、絶えず働きかけてこられました。事業の幅は広く従業員数も多い。全国展開の法人にも引けを取らない規模といっても過言ではないのに、決して岐阜県外には出られません。
石原 繰り返しになりますが、日本とオーストラリアの高齢者ケアがかけ離れていて、そこをなんとかしたい一心でした。だから全国区になりたいなんて全然考えなくて。ただ、こういう事業は小さすぎると潰れちゃうから、中ぐらいの規模、県内で収まるぐらいが一番。最初からそう考えていました。
全国区の大きな組織でトップの考え方が間違っていると、組織全部が間違った方向を向いてしまうじゃないですか。その挙句に潰れてしまうかもしれない。利用者の立場で考えると、それは不幸です。
中規模であれば、仮に1カ所潰れても、周りがカバーできるから、利用者にとっては安全です。国に対しては、ケア事業の全国展開を推奨してほしくない、という思いがあります。
髙橋 今のお話は重要な警告です。昨今、社会福祉法人や医療法人が全国展開する例、営利事業者が障害サービスも含め介護・福祉事業に参入する例など、まるでコンビニのように全国にフランチャイズチェーン展開していくケースが少なくありません。
先日は障害福祉の領域で、このような事業者の1つが指定取消の処分対象となるような不正を行い、世間を騒がせました。
陪席いただいた太田さんは、石原さんの事業展開を支えられてこられました。石原さんが新しいことを始められるときは、太田さんが実務的な部分を担ってこられたのですね。
石原 私はワーワー言うだけ。それを形にしたのは太田です。
太田 石原は各地の先進的な介護事業者と親しく、毎年のように、一緒に海外視察に行きます。そこでいろいろ刺激されて帰ってきて、来年はこれをやろう、とぶち上げる。私たちにとっては、それがお土産でした。
職員も「また来るぞ、今年も来るぞ」と身構えていたけど、新しいことをやりながらみんな成長していったんですね。
新規事業を進める際に大変だったのは自治体とのやりとりです。それまで形になかったものを始めるわけですから、理解していただき応援してもらえるまで、何度も打ち合わせが必要でした。
髙橋 事業所見学に伺い、職員さんの対応などを拝見していると、頼れる職員さんを育てられたと、よくわかります。先ほど岐阜羽島駅に迎えに来てくださった若い職員さんからも、常日ごろの職場でのやる気のある仕事ぶりが伝わって、とても良い雰囲気でした。
介護保険が全てカバーするから財源が逼迫する
髙橋 1990年代になると介護保険制度の準備が始まり、97年、介護保険法が成立します。2000年に介護保険制度がスタートしてから25年近くが経過しました。
一部に措置制度(いわゆる“やむを得ぬ措置”)が残されたものの、原則として被保険者は所得の多寡を問わず介護サービスを受けられる、契約に基づく制度が導入されました。
財源は公費5割、保険料5割で賄われます。サービス提供者として、多様な営利事業者も含めた民間事業者が参入できる準市場という構成になりました。準市場化は、ニーズに対応したサービス提供を普遍化する上で、避けられない道であった、とは思うのです。
これらの変化も今ではすっかり定着しました。その一方で問題点も少なくなく、最近は、財源論からの制度見直しが議論されています。介護保険制度のあり方についてはどうお考えですか。
石原 介護保険は最初、公的な保険であることを強調していた、と私は理解しています。自動車保険と同じで、ベースにあるのが公的保険。その上に民間のサービスが乗るという、2階建ての構想ということを教えてもらいました。
公的保険は必要最小限だけをカバーしますよと。それ以上が必要な人は自費で、必要ならば民間の保険に入ってください、という説明を受けました。民間の保険会社が2階部分を受け持つと思ったのに、全て介護保険でカバーするように変わってしまった。それが一番の間違いではないかと、今も思います。
もっとも、公的保険は収入の低い人や介護度が重度の人、介護者がいない人などに優先適用されるべきで、高所得者は公的保険ではなく民間保険を使え、と言いたいのではありません。選択の自由は、全ての人に常に必要です。
介護保険制度ができる前の措置の時代は選択の自由なんてなかったですね。だから介護保険ができて、選択の幅が広がると思ったんです。
でも介護保険が全てカバーするから、猫も杓子も、ちょっとしたことでも何にでも介護保険を使う風潮になり、財源が逼迫する事態を招いていると思います。もうちょっと応能負担、高所得者の負担を増やしてもいいのではないでしょうか。
髙橋 今後しばらくの間は、いわゆる後期高齢者の絶対数が増加します。高齢者の定義は75歳以上でもよいという学会などの見解も登場しています。
団塊ジュニア世代の非婚化や非正規雇用の増大は、彼らの高齢期を直撃し、その生活の様相を一変させるかもしれません。自営業層のあり方も変化し、従来のような生活困窮の高齢者の問題も介護保険の問題とは別個に深刻化するはずです。
一方で、わが国の所得捕捉は資産保有層に対しては不十分だし、直接税の限界税率も過去より引き下げられています。これはいわゆる新自由主義政策の帰結です。高齢化と公費支出の抑制、両者にどう折り合いをつけるかが、これからの介護保険制度および医療の課題です。後期高齢者層の医療費も相変わらず高止まりですから。
考えてみれば、新生会のケアや在宅医療などが紹介された映画『終りよければすべてよし』(2006年、自由工房)は、これからの医療・介護を巡る環境の変化の予感に満ちています。本人の選択を重視した仕組みへの転換というメッセージが含まれていたように思われます。
石原 先日、スウェーデンから看護学校の教師たちが見学に来られて、訪問診療や訪問看護にも同行してもらったのですけど、戻ってきて最初に言われたことは、「私たちがやっていることを医師がやっている」だったのです。
スウェーデンでは、全ての高齢者がそれなりの人生を全うするためにどうしなければならないか、すでに先を見越して、財源や人手などを勘案して手を打っているのだな、と思いました。
個室型多床室はこうして生まれた
髙橋 新生会が提供するサービスについて、具体的に伺いましょう。個室型多床室(リハビリセンター白鳥)は実に見事な仕掛けです。どういう経緯であのスタイルになったんですか。
石原 介護施設は近年、個室が主流ですけど、私はもともと、その流れに疑問をもっていました。
髙橋 2002年にユニットケアが制度化されて以降、国は、特養新設の際は個室ユニット型を推奨しています。
従来型の多床室といえば、ベッド周りをカーテンで仕切っただけの4人部屋や2人部屋で、プライバシーは保たれず感染症対策もできない環境でした。ですから個室ユニット化は、ある意味、必然だったと思いますが…。
石原 確かにそうですけど、別の見方をすれば、個室は一つ間違ったら独房です。怖いじゃないですか。そもそも、個室じゃなきゃだめ、個室でないと尊厳を保つことにならない、っていう、単眼的なものの考え方が嫌なんです。
実際、高齢者の中には、個室はさみしくて嫌、4人部屋で賑やかに過ごすほうがいい、とおっしゃる方もいますよ。
髙橋 戦前の教育を受けた、今80代後半以上の高齢者は、確かにそういう傾向もありますね。団塊世代以降の人びとが高齢化していくと、そのメンタリティも変わっていくかもしれません。
いずれにしても、従来型の多床室はいわゆる管理型、ケアする側にとって便利な、管理のための構造なのではありませんか?
個室ユニットケアを提唱・推進した建築学者の外山義さんのリサーチでは、入居者はベッドに横になって1日中、ただ天井を見つめるばかりで、とても人間らしい生活とはいえません。管理するほうが楽なだけです。
石原 現実には、そういうところもあるかもしれません。特に重度の人が多くてケアする人手が少ないと、そうならざるを得ない。新生会だってそれはありえます。しょうがないじゃないですか、介護者が少ないんですから。
だけど、ベッドに寝かせたままほったらかし、っていうことを極力なくす努力は惜しみません。
髙橋 日中は服を着替えて離床し、部屋の外で過ごしてもらう。寝かせきりにしない努力ですね。
石原 ええ。日中は部屋の外で過ごしていただくのだから、部屋を使うのは寝るときだけ、となります。そうであれば、国が示す個室の広さ…それはつまり個室料の取れる広さなんですけど、そんなの必要ないのでは? と考えました。
国の基準には達しないから個室料は取れないけれど、その分、安価に提供できるでしょう。狭いけど安い個室ってどうかな、と構想していたのです。
そして個室を小さくした残りのスペースで、昼間、離床して思い思いに過ごして頂けるようにしました。例えば、1人でボーっと外を見て過ごせる空間とか、ご家族とゆっくりお話ができるコーナーなどを造りました。
太田 個室を希望するのは、裕福な人だけではありませんからね。個室を望むいろんな人のニーズに応えたい、なんとかして安く個室を提供できないか、という思いがありました。
石原 ところが職員たちは、私が参加していない会議で、個室料の取れる普通の有料ホームにしようと話し合っていました。職員が個室料を取りたいと考えるのは当たり前のこと。その気持ちはよくわかるんですが、私はそれを却下し、リハビリセンター白鳥を造りました。オープンは2012年です。
制度に合致したものばかりがニーズに合うわけじゃありません。いろんなニーズがあれば、こちらはそれに応えられる選択肢を用意したい。措置の時代に自由契約特養(今村勲記念館)を造ったのも、同じ発想です。
髙橋 今村勲記念館の事業開始は1993年。措置時代はいわゆる中流、ある程度お金のある層は、措置の対象にならず、かといって高級老人ホームにはとても手が届かないから、介護を受ける施設がありませんでした。
石原 当時、厚生省課長だった中村秀一さんから自由契約特養を造ってほしいとお話がありました。
条件は、個室・一時金なしで預り金のみ・補助金なし、という大変厳しいものでしたけど、措置の時代に「自由」という言葉を見て、私はこれに飛びつきました。利用者や家族が自由に施設を選べる。それこそがあるべき姿だと思いました。
太田 私は措置制度に慣れていたので、この契約というシステムから多くを学びました。介護はサービス業だということ、利用者が部屋を決めること。住環境や部屋の設えが行き届けば、その効力は職員1人分の仕事に匹敵すると実感したり…など。
固定観念を変えられたという、社会が変化する一足先にその経験ができたことはラッキーでした。
髙橋 介護保険が始まる7年も前に、高齢者ケアに契約の概念を導入したわけですね。
駅前高層ビルの1フロア全体が医療・福祉ゾーン
髙橋 JR岐阜駅前に43階建ての高層ビル「岐阜シティ・タワー43」があります。その6階から14階までは、岐阜県住宅公社が整備した高齢者向け住宅「ラシュールメゾン岐阜」です(開業当時は高齢者向け優良賃貸住宅、現在はサービス付き高齢者向け住宅)。
3階は新生会のサンビレッジ岐阜と新生メディカルの事業所、そして地域医療振興会など医療関連の事業所などが入ります。フロア中央の「サンサンひろば」には街角ピアノならぬ、だれでも弾くことのできるピアノが置かれています。
大都市に続々と建設されるタワーマンションには、このようなスペースはありません。コロンブスの卵のようなもので、ディベロッパーや建築事務所には思いつかず、構想からこぼれ落ちる空間です。
私はオランダの社会住宅を思い出します。日本だとショッピングモールにこのような空間がつくられることはありますが、オランダでは、サービスモール(ケアを提供する事業所が集まるフロア)に人々の交流スペースが必ず付設されているのです。
最近知ったオランダの「デメンティアビレッジ」という認知症の人の生活の場でも、このようなスペースが設えられています。
石原 岐阜駅前の再開発事業として高層ビルを建設することになり、私どもはコンペで選ばれて3階の医療・福祉ゾーンを任されました。
すぐ岐阜シティ・タワー43の街づくり研究会を立ち上げ、「トシ・ヤマサキまちづくり総合研究所」の山崎敏代表取締役のアイディアで、他のテナントさんにも理解して頂き、サンサンひろばをつくりました。
保育所の子どもとデイの高齢者が触れ合う
髙橋 このフロアでは、保育所とデイサービスが隣り合っています。
石原 サンビレッジ新生苑を造る際、その前に数年の研究期間をもち、父も海外の高齢者施設を視察しました。
その父が、ヨーロッパなどの老人ホームには必ず保育所と教会があった、と言っていたのを思い出して、新生会のデイセンターの隣に、新生メディカルが保育所を作ったんです。デイの高齢者と保育所の子どもは、しょっちゅう交流していますよ。
髙橋 子どもたちが一緒にいると、高齢者は張り切るでしょう。子どもたちは家に高齢者がいないから、両者が触れ合うまたとない機会ですね。
石原 高齢者と子どもが交流することは、とてもいいことと思っているんですけど、当初、職員が拒否反応を示しました。
太田 開所当時はデイと保育所、双方の信頼関係もまだまだ薄く、互いに「良い介護をしよう」「良い保育をしよう」と、それぞれの思いからテリトリー意識が強かったのです。
相手を受け容れるだけの度量が育っていませんでした。デイは「園児が大声で騒いだら迷惑だ」、保育所は「園児が勝手にデイに行ってしまう」など、取り組む前から心配が募っていたようです。
それに保育士は、子どもが高齢者から病気をもらってしまうかもしれない、そうすると親からクレームが来る、とも危惧していました。
石原 初めて保育所を作ったので、経験のある保育士を雇ったんです。その保育士が、子どもをそんな高齢者のそばになんか出せません、って言うんです。高齢者に対して偏見があったのですね。交流する意義を理解してもらうまで、もう大変でした。
髙橋 そんな3階フロアにサンサンひろばがあって、そこにピアノが置いてあるのも、新生会が「文化」というものを大切にしている象徴のように思うのです。
石原 単に広場をつくるだけでは意味がないから、壁面は写真展などに活用し、中央にはグランドピアノを置きました。声楽家の友人に頼んで、そこで歌の教室を開いてもらいました。そのうち、声楽家の彼女が教えていた小学生が時々、そのピアノを弾きに来てくれるようになったのです。
その小学生が、のちにロン=ティボー国際音楽コンクールで優勝して国際的に活躍することになる亀井聖矢さんです。サンサンひろばその他にもNHK交響楽団のメンバーがコンサートを開いて下さったり、活用されています。
(「下」に続く)