国は医療系サービスまで移行させようとしていた
2015年4月、介護保険法が改正され、市町村事業である地域支援事業に「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)が創設された。介護予防サービスのうち訪問介護と通所介護は廃止され、これらは新しい総合事業に移行することになった。
もともと厚労省は、予防の訪問と通所だけじゃなく、もっと多くのサービスを新しい総合事業に移行させる、という考えでした。介護予防訪問看護とか介護予防通所リハも移すと。法改正前の厚労省担当者と学識経験者、市町村代表との非公式な検討段階の議論で、私はそれに猛反対しました。
その理由は、訪問看護や通所リハは医療系サービスなので医師会の影響下にあり、基本的に市町村独自では単価の設定や需給調整などをコントロールできないからです。
そもそも総合事業の目的は何だったのか。厚生労働省が2015年6月に示したガイドラインでは、①住民主体の多様なサービスを充実することで要支援者の選択肢を広げる、②多様な担い手による多様な単価、住民主体による低廉な単価の設定、③高齢者の社会参加の促進や効果的な介護予防ケアマネジメントを通じて費用の効率化を図る、といった狙いが示されていました。
つまり、総合事業は市町村が住民主体の多様なサービスを創設し育成してコントロールするのが原則じゃないですか。でも、訪問看護や通所リハといった医療系のサービスが、果たして市町村のコントロールで受給調整できるのか。
医師会など医療関係者と市町村には、連携しつつもどうしても緊張関係があって、医療系サービスを総合事業として市町村が育成したり調整したりすることには限界があると思ったからです。
価格設定ひとつとっても、訪問看護や通所リハのサービス価格を、市町村主導で従前の予防給付より低廉に設定して効率的にできるかというと、そうではない。
国としては、全国一律の公定価格ではなく、市町村が独自に安く設定することを期待していたんでしょうけど、多くの自治体では医療系サービスを「低廉な価格」で「効率的」に設定するなんてことは不可能に近いとしか思えなかったのです。
一方、介護系のメニューである訪問介護と通所介護であれば、何とか地域の実情に応じて市町村が一定程度、需給調整することは可能と思えましたし、価格も事業者連絡会などと協議しながらリーズナブルに設定できる可能性があるでしょう。
生活援助なら住民の皆さんにもご協力をお願いして多様なサービス主体として活躍していただけるでしょう。結局、このことが受け入れられて、総合事業は訪問介護と通所介護だけにしよう、という流れになっていきました。
基本チェックリスト導入の本質的意味
新しい総合事業の創設は、介護保険制度の大きな転換点となった。厚労省は当時、総合事業には介護保険財源が投入されているのだから、個別給付を市町村に付け替えただけで、介護保険から外したのではない、と説明していた。
検討段階の2013年当時、新しい総合事業は、サービス類型だけでなく思想的にも制度的にも多くの課題があると私は感じていました。
介護保険の意義の1つは「従来の措置制度は市町村がサービス提供量を調整するため、高齢者がサービスを選択できない」ことから、思想的にも制度的にも大きな転換を図ったことです。にもかかわらず、サービス単価や種類、サービス提供量を市町村がコントロールする総合事業を、制度の中に再びビルトインするというのです。
それは措置制度に近いとも言えるでしょう、確かに財源は介護保険のお金だけど。「先祖返り」「時計の針をもとに戻す」ということです。
リスクヘッジとしての保険=インシュアランスの枠組みでなくなったことは明らかです。介護保険法第1条、第2条、第4条に書いてあるような、基本的理念から逸脱している、ということだと思います。
介護保険法第1条は
「国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付導入に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上および福祉の増進を図ることを目的とする」
第2条は
「介護保険は、被保険者の要介護状態又は要支援状態に関し、必要な保険給付を行うものとする」「保険給付は、要介護状態等の軽減又は悪化の防止に資するよう行われるとともに、医療との連携に十分配慮して行われなければならない」
第4条は
「国民は共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担する」
と定める。
総合事業を利用する際は要介護認定を受ける必要はなく、基本チェックリストでいい。それで「介護保険から外していない」と言えるのか。
外していないと言うなら、「保険事故認定」としての要介護認定が必須で、基本チェックリストはあくまでも「補助的なツール」でしかなく、サービスの可否を決定するものではないはずです。
基本チェックリストとは、高齢者の生活機能や運動機能、栄養状態、精神状態などを判定する、25の質問からなるリスト。質問に「はい/いいえ」で回答し、市町村はこの結果に基づき、総合事業の対象となるかどうかを判定する。
厚労省の「介護予防・日常生活支援総合事業のガイドライン」には、以下のように説明されている。
●基本チェックリストは、必ずしも認定を受けなくても、必要なサービスを事業でできるよう本人の状況を確認するツールとして活用するものであり、要介護認定等の申請に対して影響するものではない。基本チェックリストの実施の結果、非該当となった場合に、要介護認定等の申請を不可とするものではなく、申請があった場合には、市町村はこれを受け付けなければならない。
●市町村窓口においては、必ずしも専門職でなくてもよい。
●基本チェックリストの活用・実施の際には、質問項目と併せ、利用者本人の状況やサービス利用の意向を聞き取った上で、振り分けを判断する。
介護保険は社会保険であり、インシュアランスです。民間の損害保険や生命保険と同様に保険料を支払った人が保険事故に遭えば、それを給付として補償するわけで、介護保険の保険事故とは、要介護状態になることですよね。
そうなったかどうか、その度合いはどうかを判定するのが要介護認定で、一次判定、二次判定、主治医意見書、審査会と、全国一律、厳密に公平に判定する仕組みです。自動車保険と同じように、事故であるかどうか、事故の程度はどうか、きちんとした基準で判定しています。
介護保険サービスを受けるには、そういう手続きが必要、ということです。ところが、総合事業を使いたいときは基本チェックリストの25問に答えるだけ。それだけで、要支援レベルの人をサービスの対象にしていいのか。
総合事業のサービスとは、住民中心で専門職の関与が少ない、介護保険の個別給付とは次元の異なるサービスなんです。
しかも、基本チェックリストを受け付ける市町村窓口は「必ずしも専門職でなくてもよ」く、「活用・実施の際には、利用者本人の状況や意向を聞き取った上で振り分けを判断」すればよい、とされています。
専門職でない窓口職員が本人から聞き取って、サービス利用を振り分ければよい、というんですけど、要支援レベルであっても、外見からは把握できない疾患をお持ちで医療ニーズのある方もおられます。
それを把握し判断するのは専門職でも難しいですし、ましてや専門職でない職員には困難を極めるでしょう。医師の診断や意見がないまま、基本チェックリストだけでサービスを決めて提供していいのか。
さらに、総合事業の窓口は市役所本庁だけじゃなく、地域包括支援センターでもよいこととされました。
すると、同じような状態像なのに、基本チェックリストへの本人の主観的な回答や窓口でのヒアリング次第で、市役所では総合事業の対象となった、地域包括支援センターでは対象とならず要介護認定を受けるよう指示された、という具合に、判定にバラつきが生じる懸念があります。
窓口に相談に来るのは、要介護認定を受けていない人で、そもそも「私は総合事業に参加したい」「私は介護保険給付のサービスを受けたい」など明確な目的や意図があって窓口に来るわけではありません。
多くの方は「最近、足腰が弱くなって家事や買い物をするのがおっくうになったので誰かに助けてもらえないか」「今まで一人暮らしで頑張ってきたけど、日常生活を継続するのが難しくなった」という困りごとが増えて、切羽詰まって相談にお見えになるのです。本来なら生活実態や身体状況、医療的ニーズなどを総合的に把握して的確なアドバイスをすべき。
そういう高齢者に対して、基本チェックリストのみによって総合事業の対象かどうかを決めるということは、行政が要介護認定によらず数少ない情報の中で、要支援あるいは総合事業対象者を判定していることにほかならないでしょう。
そういう意味では、本当に保険制度の根幹を揺るがす制度変更だったと思います。もちろん、厚労省は基本チェックリストによって要支援を判定している、とは言いません。総合事業の対象者、という表現です。総合事業対象者と要支援は別、というロジックです。
しかし現実には、あえて基本チェックリストに誘導して要介護認定を受けさせない、そうすることで認定率を下げているとしか思えない動きが見られた自治体も一部にありました。
九州のある自治体の担当者はある専門誌の座談会(2017年1月号)で、「新規申請」の場合、「認定申請が1割、チェックリストのみが9割です」と堂々と発言していました。耳を疑いましたが、そんなことが可能になってしまうんです。
問題点がいくつもあるのに
要支援の人が、総合事業の訪問型サービスと介護予防訪問看護を同時に必要とする場合のケアマネジメントも複雑化します。
総合事業による訪問介護は、自治体か地域包括支援センターがケアプランを作ります。その費用は総合事業から出ます。訪看は介護保険給付費から出ることになります。同じ人が使うサービスなのに、給付請求は別々で、マネジメントも複雑になります。
さらにいえば、新しい総合事業は地域支援事業の1つに位置づけられたんですけど、各自治体は、すでに地域支援事業として介護予防や健康増進など、独自に実施していました。そこには介護保険のお金が拠出されていて、その上限があります。
厚労省の論理としては、新しい総合事業をそういう地域支援事業に含めて予防給付の縛りをなくし、割り振られた財源の上限の範囲内で自由にやってよし、ということだったと思います。
しかし、総合事業を介護保険制度の一部として位置づけることは、リスクヘッジとしての保険料の拠出に対する対価として給付を受ける社会保険制度の原理から言えば、その権利性が果たして担保されたものなのかという疑問が残ります。
新しい総合事業が地域支援事業に含められたことで、地域支援事業に拠出された介護保険財源は、かつての措置制度時代の「補助金」「特定財源」としての様相を呈しているのではないでしょうか。
市町村が自由にやってよいという主張もわからなくはないんですが、“要介護認定を経なくても受けられる、介護保険のお金に基づくサービス”がなし崩しのように増えていくことになります。
40歳以上の人が粛々と払っている保険料がそういう使われ方でいいのだろうか。そういう議論は、ほとんどありませんでした。
あのころは相当怒っていた
以上のように、いくつも問題点があると思えました。厚労省は新しい総合事業について、市町村にきちんと説明はするけれども、制度設計に関して市町村の意見を聞く場はあまりなかったと思うんです。
笹井さんは当時、ある会合で“実力行使”に及んだという伝説が残っている。
2000年以前から介護保険制度のあるべき姿を追求してきた者として、あのころ、相当怒っていたのは確かです。忘れもしない10年以上前の2013年11月4日、文化の日の振替休日でした。
総合事業の枠組みをどうするか、大森彌先生等の学識経験者、老健局や市町村代表を交えた非公式の会合が都内某所で開かれ、議論が進む中で、たしかに熱くなった場面もありました。
“実力行使”が何を意味するかわかりませんが(笑)、当時の厚労省の幹部たちに「まったく、何言ってるんですか!」「介護保険制度の現場を全くわかってないですね!」と激しく詰め寄ったことは記憶しています。
笹井肇(ささい・はじめ) 公益財団法人武蔵野市福祉公社顧問、社会福祉法人とらいふ顧問
武蔵野市介護保険準備室主査、市民協働推進課長、介護保険課長、高齢者支援課長、防災安全部長などを経て2013年4月~2018年3月まで健康福祉部長。同年4月~2022年3月まで副市長。