第9回 武蔵野市がケアマネジャーを大切にしている理由🆕

2023年 9月 1日

武蔵野市ケアマネジャーガイドライン
 2000年(平成12年)4月、介護保険制度がスタートし、介護保険サービスの提供が始まった。これに備えて同年3月までに準備要介護認定を終え、認定者にケアプランを作成した(第8回参照)。ケアプランをつくる介護支援専門員(ケアマネジャー)は、介護保険制度とともに創設された新しい資格職だ。

 新しくできたケアマネジャーという専門職は、ニーズとサービス提供、すなわち需要と供給をマネジメントします。社会保険で運営する以上、要介護高齢者の要望や事業者の思惑を全部受け入れてサービスを提供することはできません。逆に、必要なサービスが提供されないこともあってはなりません。

 ケアマネジャーには、それら全体を見渡して利用者に最適なケアプランをつくる能力が求められます。ケアプランはサービス提供の設計図であり、それを描くケアマネジャーの役割は重要です。

 前回お話ししたように、武蔵野市には武蔵野市福祉公社(1981年4月設立)のソーシャルワーク活動や老人福祉法に基づく在宅介護支援センター事業など、介護保険ができる前からケアマネジメントの仕組みがあって、介護・看護職がニーズに合わせてサービス提供を調整していました。

 その仕組みが、2000年4月以降はケアマネジャーによるケアプラン作成に移行しました。

 武蔵野市は2000年4月以降、市独自の「武蔵野市ケアマネジャーガイドライン」の作成に着手しました。編集委員は当時の福祉公社のソーシャルワーカーや在宅介護支援センター職員、ケアマネジャー代表が務めました。

武蔵野市ガイドライン03

 この種のガイドラインの先行事例は皆無で、編集作業は困難を極めます。ようやく1年後の2001年3月、「ガイドライン」が完成し、ケアマネジャーや関係機関に配布されました。

 保険者である私たちから市内で仕事をするケアマネジャーに対して、業務の重要性を理解してもらい、行政としてケアマネジャーをバックアップしていることを伝えるためです。

 「ガイドライン」では、ケアマネジメントの理念や具体的な実践方法を解説しています。ケアマネジメントの手法について、現在に至るまでいくつかの研究がありますが、「ガイドライン」の解説はそれらに匹敵すると思っています。

 「ガイドライン」で示した実践方法は、武蔵野市で居宅介護事業所として事業展開されるのであれば、少なくともこのハードルを超えてください、という保険者としての基準です。こうした基準がない場合、ケア提供の拠り所となるのは事業者の方針です。

 事業者によってケアの視点は異なるし、オリジナルのマニュアルを持つ事業者もあればそうでない事業者もあります。また、個々のケアマネジャーの経験や情報量によって差が生じることもあります。だから、事業者任せやケアマネジャー任せではケアプランの質がバラついてしまう可能性があります。

 そうなることを避け、ケアマネジャーとして市民にサービス提供する場合の一定の基準、ハードルを設けよう、という発想から「ガイドライン」を作りました。私は巻頭の序文を執筆しました。以下に引用しましょう。

 〈介護保険が誕生してまもなく1歳になろうとしています。すでにご承知のとおり、介護支援専門員(ケアマネジャー)の業務は複雑かつ多岐にわたり、日々ご多忙を極められていることと存じます。一方、この間、要介護高齢者をはじめ、ご家族や関係者のケアマネジャーに対する期待は一層高まりつつあります。(略)このたび作成しました「武蔵野市ケアマネジャーガイドライン」は、ケアマネジメントの流れを手続きごとに整理し、本市独自の高齢者施策やその利用法を含めて紹介することにより、ケアマネジャーの全体的なサービスの質の向上をめざすことを目的に作成されたものです。(以下略)〉(第1版より)

 介護保険制度の要であるケアマネジャーを支えたいと真剣に考えていたことを思い出します。「ガイドライン」は大きな介護保険制度改正や新規施策の施行ごとに「版」を更新し、現在は第4版(2021年改訂版)となっています。

帳票類や医師とのFAX用紙を収載
 「ガイドライン」は、ケアマネの仕事を支援するツールでもあります。制度が始まってしばらくして、ケアマネが扱う書類は、要介護認定申請書、居宅サービス計画作成依頼(変更)届出書、住宅改修費支給申請書など実に多いことに気づきました。

 当時はインターネットが今のように普及していなかったため、必要書類をダウンロードする仕組みが整っておらず、皆さん、各書類をコピーして必要に応じてレターケースから一枚一枚出して使っていました。

 私たちが書類を受け取っても、記入漏れや不備が見つかって手続きが進められないことも結構ありました。

 そういうケアマネジャーの皆さんの業務の煩雑さの解消と正確性を担保するため、「ガイドライン」の後半には、市に提出する必要がある各種帳票類を全部まとめて、白紙と記入例を掲載しています。

 これを見れば書類の書き方がすぐわかるようにしました。記入漏れなどを防止する目的もありました。

 そしてケアプラン作成に際しては、精度を高めるため、要介護認定の際の主治医意見書を情報公開制度で請求し、しっかり見てからケアプランを作るよう求めています。

 利用者の心身の状況を確認しないまま、本人の申告だけに基づいて「下肢筋力が低下しているため筋トレ」とプランに入れたとします。しかし、その人は実は心臓に持病があって、激しい筋トレはしてはいけないのだとしたら、深刻な事態を招きかねません。

 要介護状態の人は何らかの疾病や体の不調を抱えているはずですから、本人の客観的な医療情報を知っていないと、適切なサービスは組めないのです。

 医療情報を継続的に把握できるよう、ケアマネと医師がやりとりするためのファクス用紙「介護情報提供書」も作り、「ガイドライン」に入れました。

 利用者の状態を正確に知るには、医師とのコミュニケーションが必要です。

 しかし、武蔵野市医師会の医師からは「忙しいときに電話もらっても答えられない」と言われ、介護職出身のケアマネからは「主治医に直接電話するのは敷居が高い」「主治医に説明されても医療用語が全然わからない」と言われていました。

 たしかに、電話で医師から検査の項目や数字を聞かされても、それが何を意味するのか、瞬時に正確に理解することは難しいでしょう。

 そこで、ファクスで書面をやりとりすれば、お互いが理解できると思い、「ケアマネジャー→主治医」「主治医→ケアマネジャー」という様式を作ったわけです。

 ファクスなら医師は手が空いたときに書けばいいから、多忙な診察時間に電話口に出なくてもいい。ケアマネに医療知識が乏しくても、医療情報や主治医からの助言を的確に把握でき、医師と連携できる仕組みを作りました。

fax送信書02

用紙の上部がケアマネからの質問、下部が医師の回答欄。ファクス1枚で認知機能や筋力などの医療情報を正確にやりとりできる

 こうした施策のおかげか、近隣市・区から武蔵野市内の事業所に異動を希望するケアマネジャーがけっこういたそうです。

第1回試験を受験
 ケアマネジャーについては、資格創設時にさまざまな議論があり、私も当時の厚生労働省の幹部や担当者と議論しました。

 ケアマネの位置付けについて、イギリスのように公務員もしくは準公務員として中立性を担保し、行政がコントロールできる形がいいんじゃないか、という意見もありました。

 ケアマネが民間事業所に所属することになると営利が優先され、事業所を利するケアプランを作ってしまうだろう。中立性・客観性・質の担保のためにイギリス型がいい、という主張です。

 職種も、看護師や社会福祉士といった医療・福祉の国家資格をもつ人に限定すべきという議論がありました。

 でも結局、将来的な高齢社会の進展や要介護高齢者の増加を考慮し、それらは現実的でない、ということになりました。ケアマネジメントの質については、今なお介護報酬改定のたびにテーマとして挙げられますが、資格創設のころからずっと続いているわけです。

 私自身、ケアマネジャーの資格をもっています。私を含め、武蔵野市の高齢者福祉部門の職員数人が第1回の試験を受けました。

 当時の在宅介護支援センターの職員などと、昼休みや終業後に集まって試験勉強したものです。医療用語を看護職に教わったり、みんなで疑問を出し合ったりしました。

 第1回の試験って、2回目以降と決定的に違うんですよ。何がって、「過去問」が存在しないんです。

 試験勉強には過去問が不可欠だと思いますが、それがないから、どういう傾向の問題が出るか全くわからない。どういうジャンルから出題されるかは公表されていて、情報はそれだけでした。だから自分たちで模擬試験みたいな問題を作ったりもしました。

 試験当日は、顔見知りの高齢者サービス事業所の管理職に何人も会って、いやあ難しいですね、なんて言ったりしたことを覚えています。
             *
 あれから20年以上経った現在、試験を受ける人が減って、ケアマネになる人が少なくなり、全国的にケアマネ不足がだんだん深刻化しています。登録しているのにケアマネの仕事をしない人も少なくないとか。

 ケアマネジャーを取り巻く環境も変化し課題が多くなっていますね。医療依存度が高い利用者が多くなっていますし、家族関係が複雑でさまざまな調整が必要だったり、逆に単身世帯で介護保険外の生活支援ニーズも高かったりと、多様で複雑な支援が必要となっています。

 また介護職ばかりが処遇改善の恩恵を受けて、苦労してケアマネになっても給料は上がらない、なのに研修は多くてその費用もかかる。そんな現実もあるようです。

 ケアマネジャーの業務範囲の明確化やケアマネジメントの標準化を進めること、そして本腰を入れてケアマネの報酬を上げないと、ケアマネジャーがいなくなり、ケアマネジメントが置き去りにされてしまう。危機感が強まっています。

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第8回 施行に向けての中央の混乱と準備要介護認定

 介護保険法が1997年(平成9年)に成立し、制度が始まったのは2000年。保険者となった自治体はその間、これまで笹井さんが語ったように、要介護認定モデル事業や住民への説明など、広範に及ぶ準備作業を進めた。そして武蔵野市は国に対しても積極的に意見し、制度の改善に一役買っていた。
 
 ところが制度スタートを目前に控えた1999年、施行延期や保険料徴収の凍結といった提案が中央の政治家から次々となされる。99年10月、自民党政調会長だった亀井静香氏が施行延期を唱え、「カメカゼが吹いた」と揶揄されたことも記憶に残る。
 
 家族介護者への現金給付案も登場し、施行直前になって事態は混迷した。当時は連立政権の顔ぶれがコロコロ変わり、介護保険制度が“政争の具”とされた感がある。
 
 こうした動きに対して6月に全国町村会が「介護保険制度に関する緊急要望」を発表、「介護保険法の定めによる明年(2000年)4月に、全国2,558町村すべてが…

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第7回 保険者システム開発と市民への説明

 1998年度(平成10年度)は、介護認定モデル事業(高齢者介護サービス体制整備支援事業)以外にも重要な準備作業が次々と行われる。同年度前半には、保険者向けの「介護保険事務処理システム」(保険者システム)開発が始まった。
 
■多摩地域の保険者が共同開発
 モデル事業で問題点を指摘した一次判定ソフトは、厚生省が開発して各保険者、すなわち全国の市町村に提供されたわけですが、保険者の業務はもちろん要介護認定だけではありません。

 保険料の賦課徴収やサービス受給の資格管理といった、地味だけど「社会保険」ならではの重要な業務があり、そのためのシステムは保険者が各自導入する必要がありました。
 
 保険者システムについて、武蔵野市は導入にあたり、98年(平成10年)4~5月、3つの方法を検討しました。①市が単独で開発する、②全国共通パッケージソフトを購入する、③A社のシステムを既存システム(国保など)に採用している東京・多摩地域の保険者が合同で共同開発する、の3つです。
 
 ①の単独開発には、市のカスタマイズが容易なメリットがありますが、開発にはコストも時間もかかります。②全国共通パッケージソフトは導入は容易ですが、このシステムに自治体の事務作業を合わせなければならず、武蔵野市の独自性が発揮できません。
 
 けっこう大きなデメリットがあると考えられた①②と比べ、③多摩地域のA社ユーザーによる共同開発であれば、多摩地域共通の事務処理が可能となります。保険料の仮算定など市独自のオプションもつけられるし…

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第6回 モデル事業で要介護認定の重さを実感

 介護保険創設から20年以上経って要介護認定もすっかり定着しましたが、準備期間はすべてゼロからのスタートで、国も市町村もいまだかつて誰も経験したことのない未曽有の仕事に取り組んでいました。
 
 こうやって改めて当時を振り返ると、介護保険制度が市民や国民の信頼を得るための一番の要は要介護認定だ、という思いが強くなります。
■「要介護1ってどんな状態?」に答える
 
 要介護認定モデル事業に取り組んでいた98年(平成10年)当時、どれぐらいの状態像だったら要介護度はいくつぐらいになるのか、厚生省は公表していませんでした。そのため、我々は独自に試案を作りました。
 
 連載3回目で紹介した「介護保険ブックレットⅡ」(98年12月)に、「要介護状態区分の状態像早見表」を掲載しています。
 
 たとえば、「歩行が不安定」「浴槽の出入りが一部介助」なら要支援、「歩行が自力でできない」「浴槽の出入りが全介助」なら要介護3。新しく始まる制度なんだから、こういう目安がないと、要介護1ってどんな状態? という市民の疑問に答えられません。わかりやすい目安が必要だと思っていました。
 
 モデル事業の前、97年(平成9年)9月に出した「ブックレットⅠ」でも、要介護認定の基準に疑義を投げかけています。96年度(平成8年度)のモデル事業(東京は品川区と保谷市=現・西東京市=が実施)の結果…

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第5回 判定ソフトの問題点を指摘し改修を求めた

 介護保険制度スタートに先立ち、要介護認定のリハーサル「高齢者介護サービス体制整備支援事業」(要介護認定のモデル事業)が1996年度、97年度、98年度(平成8~10年度)と3回実施された。武蔵野市は98年度の事業で一次判定の欠陥に気づく。
 
■「中間評価項目」に指摘が反映される
 98年度(平成10年度)モデル事業終了後、武蔵野市介護保険準備室は「平成10年度高齢者介護サービス体制整備支援事業 事業報告」をA4の冊子にまとめました。
 
 このなかに「平成10年度介護保険モデル事業の問題点・改善提案」という項目を設け、問題点とその改善提案を5ページ強にわたって記載しています。
 
 これを国や都に提出しました。さらに厚生省の山崎史郎さんや三浦公嗣さんを訪ね、「調査票データと一次判定の因果関係がわからず、市町村は市民からの疑問や苦情に答えられない。コンピュータ一次判定ソフトを99年10月からの準備要介護認定までに改修すべき」などと訴えました。
 
 国民誰もが納得しうる合理性のある要介護認定システムに変更しないと、このままでは介護保険制度そのものの信頼性が損なわれる、という危機感がありました。
 
 樹形モデルによって生じるブレをなんとかしないとダメだと考え、山崎さんたちと何度か協議しました。その結果、ブレを大きくしないために、コンピュータによる一次判定ソフトに…

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第4回 認定モデル事業で一次判定の問題点に危機感

 96年度の1回目、97年度の2回目は参加自治体数が限定されていたので、武蔵野市が参加したのは、3回目、98年度のモデル事業からです。
 
 97年度当時、武蔵野市の高齢者福祉分野の職員は要介護認定に向けたモデル準備の実務より、介護保険法案の根幹にかかわる課題への批判やブックレットの編集・作成に追われていたというのが実情です。
 
 ただし、隣接する保谷市(現・西東京市)が1・2回目のモデル事業に参加していたので、その認定調査や認定審査会を視察・傍聴し、情報共有していました。武蔵野市に専任の介護保険担当が新設されたのは98年4月でした。そのうえで98年度モデル事業に臨んだのです。
 
■要介護認定の準備が最大の山場
 
 要介護認定の結果は、サービス給付に直接リンクします。だから被保険者にとって要介護認定は、自分がどれぐらいのサービスを受けられるかを左右する、重要な判定です。
 
 保険者となる市町村にとっても、実務的な労力を最も必要としたのは要介護認定の準備でした。“本番”のための準備認定が始まるのが99年10月で、モデル事業の実施時期はそのほぼ1年前、98年9月末~11月末です。職員は多忙を極めました。
 
 モデル事業では、市内の65歳以上の高齢者107人(当時の在宅サービス受給者57人と施設サービス受給者50人)に対して要介護状態を判定します。判定の流れは、初めに調査員による介護認定調査を行い…

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