第1回 介護保険が地域に与えた3つの衝撃

2022年 12月 23日

介護保険制度が始まって20年以上が過ぎた。制度の準備段階から現在まで、地方自治体は、介護保険の保険者としてどう動いてきたのか。東京・武蔵野市の健康福祉部長として市の高齢者施策をリードし、定年後は副市長を務めた笹井肇さんが回想する。 

 東京都のほぼ中央に位置する武蔵野市は、多くの調査で「住みたい街」として評価されている吉祥寺を擁する市として知られる。1981年に日本初の在宅有償サービス事業を始めるなど、介護保険創設以前から福祉先進都市として高齢者ケアにも定評があり、国の施策にも影響を与えてきた。

 笹井さんが武蔵野市役所に入庁したのは1980年(昭和55年)。最初に配属されたのは広報課で、市報を作ったりしていたという。その後は福祉事務所で生活保護のケースワーカーを務めた。

 1994年(平成6年)ごろ、当時の福祉計画課に配属されました。90年代半ばから後半にかけては、高齢者の介護制度、そして介護保険制度をめぐる議論が盛んでした。福祉計画課は健康福祉部門に新設された企画計画担当部署であったため、私自身も高齢者介護・介護保険制度の議論に関わっていくことになります。

 東京市町村自治調査会(以下、調査会)というシンクタンクがありまして、東京都内市町村の広域的課題の調査研究などを行っています。

 新しい介護制度が始まるというので、96年、各自治体の担当者が集まって調査会のなかに「高齢者介護制度研究会」(以下、研究会)を作りました。武蔵野市からは私が参加し、稲城市の石田光広さんもいましたし、これらの活動を通じて池田省三さんなど介護保険創設のキーパーソンと知り合ったのです。

 庁内でも96年、介護保険のワーキングチームを福祉計画課に立ち上げ、1998年4月に高齢者福祉課に介護保険担当を新設して私が担当係長に就任しました。同年10月に介護保険準備室へ格上げし、当時の土屋正忠市長の下、介護保険の準備に携わることになりました。

 94年4月、厚生省(当時)は「高齢者介護対策本部」を設置した。政府が介護の公的な制度を本格的に検討したのはこれが最初である。これ以降、制度のあり方について議論が続き、介護保険法の成立・施行につながっていく。笹井さんは、「介護保険制度は地域に3つの衝撃を与えた」と振り返る。

 3つの衝撃とは、
 (1)措置制度から介護保険制度への「思想的転換」
 (2)市町村が保険者になることにより、「地方分権の試金石」として基礎自治体の総合力が問われる「地方分権的転換」
 (3)経験と勘に基づく高齢者介護から「科学に基づく介護への転換」
です。

措置から保険への転換がもたらしたもの
 (1)について、介護保険以前の福祉は措置制度だったから、市職員も福祉関係者も措置しか経験がなく、頭の中は措置一色でした。措置とはつまり、困窮者を救済する制度で、対象者を保護する感覚でした。市町村は予算の中でサービスを調達して、優先順位に応じて配分する。供給が需要を管理する仕組みです。

 そんな措置制度から介護保険制度への転換は、思想的転換ももたらしました。それは、①選別主義から普遍主義へ、②保護主義から自立支援へ、③公助から共助へ、というものです。

 それまでの措置制度は、支援する人に困窮度などで優先順位をつけて選別する選別主義でした。それが介護保険制度によって、所得の多寡とか困窮度に関係なく、介護が必要かどうか、どの程度必要か、という要介護度で評価する普遍主義に変わった。これが①です。

 ②は、措置制度による保護的な社会的救済から、ご本人の自立を支援するという転換です。じゃあ自立ってなに? みたいな話は当時もよくしていました。

 ③は、税金に依拠する公助の制度から、介護保険法にも明記されている国民連帯を基盤とする共助(社会保険)への転換です。これもドラスティックな変化でした。その保険を運営する保険者が市町村になったというのが(2)です。

 (2)は長くなるので後回しにして、(3)については、それまでの介護はベテランのホームヘルパーや、ベテランの在宅介護支援センター職員が経験と勘によって介護サービスを提供していました。介護保険制度によって、それが「科学に基づく介護」に転換したのです。

 ただ当時の武蔵野市は、措置制度のもとではあっても国や都の基準を上回る独自のサービスを構築し、かなりフレキシブルに運用していました。サービスの質も高かったんですが、「そのケアの根拠は?」と聞かれると、それは“経験と勘”であり、現場の裁量に任せていました。

 科学に基づく介護への転換は、要介護認定やケアプラン作成、それから介護給付に象徴されます。介護保険は創設時から電算システムを活用して国保連に請求し、国保連から報酬の支払いを受ける仕組みです。

 これによりサービス種別ごとに提供回数もクリアにされるし、データは蓄積されます。市町村は給付データに基づいてさまざまな分析ができるようになりました。

 武蔵野市は介護保険制度スタートから数年後に、地域ケア政策ネットワーク(現・地域共生政策自治体連携機構)が中心となって開発した分析ツール「介護政策評価支援システム」の作成に協力するとともに、このシステムを活用して、給付分析や事業計画策定などに利用しています。

 現在、この分析システムは、厚生労働省の地域包括ケア「見える化」システムに発展しています。

笹井氏プロフィール02

笹井肇(ささい・はじめ) 公益財団法人武蔵野市福祉公社顧問、社会福祉法人とらいふ顧問

武蔵野市介護保険準備室主査、市民協働推進課長、介護保険課長、高齢者支援課長、防災安全部長などを経て2013年4月~2018年3月まで健康福祉部長。同年4月~2022年3月まで副市長。

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第17回 「新しい総合事業」は介護保険の根幹を揺るがす制度変更🆕

■国は医療系サービスまで移行させようとしていた
 
 2015年4月、介護保険法が改正され、市町村事業である地域支援事業に「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)が創設された。介護予防サービスのうち訪問介護と通所介護は廃止され、これらは新しい総合事業に移行することになった。
 
 もともと厚労省は、予防の訪問と通所だけじゃなく、もっと多くのサービスを新しい総合事業に移行させる、という考えでした。介護予防訪問看護とか介護予防通所リハも移すと。法改正前の厚労省担当者と学識経験者、市町村代表との非公式な検討段階の議論で、私はそれに猛反対しました。
 
 その理由は、訪問看護や通所リハは医療系サービスなので医師会の影響下にあり、基本的に市町村独自では単価の設定や需給調整などをコントロールできないからです。
 
 そもそも総合事業の目的は何だったのか。厚生労働省が2015年6月に示したガイドラインでは、①住民主体の多様なサービスを充実することで要支援者の選択肢を広げる、②多様な担い手による多様な単価、住民主体による低廉な単価の設定、③高齢者の社会参加の促進や効果的な介護予防ケアマネジメントを通じて費用の効率化を図る、といった狙いが示されていました。
 
 つまり、総合事業は市町村が住民主体の多様なサービスを創設し育成してコントロールするのが原則じゃないですか。でも、訪問看護や通所リハといった医療系のサービスが、果たして市町村のコントロールで受給調整できるのか。医師会など医療関係者と市町村には、連携しつつもどうしても緊張関係があって…

第16回 制度改革を訴える提言🆕

■フォーラムや実態調査をもとに
 
 フォーラムから2年後の2003年12月、武蔵野市は「介護保険施行5年後の見直しに向けて~武蔵野市からの提言~」を公表する。
 
 介護保険法の附則第5条には、政府は見直しの検討にあたって、「地方公共団体その他の関係者から当該検討に関わる事項に関する意見の提出があったときは、当該意見を十分に考慮しなければならない」と明記されています。
 
 武蔵野市は介護保険法が成立する前、法案に対して批判的なブックレットを発行したような(第3回参照)“もの言う自治体”です。5年後の見直しについて意見や要望をしっかり表明するのも、自然な成り行きと言えます。
 
 そこで、庁内に「介護保険施行5年後の制度見直しワーキングチーム」を設置しました。05年度(平成17年度)に予定されている見直しが検討されるのは04年度まででしょうから、01年のフォーラムで出された意見などに基づいてワーキングチームで検討し…

第15回 制度見直しに向けたフォーラム開催

 介護保険制度が始まっておよそ1年半後の2001年11月8~9日、武蔵野市は「介護保険フォーラムin武蔵野 介護保険制度の検証と改革を……」を開催した。主催は武蔵野市で、全国市長会が後援した。
 
■保険者が現場から声を上げる
 全国市長会の後援をいただいたこともあって、全国各地の市町村長、自治体の実務担当者、学識経験者、サービス事業者、市民など大勢参加してくださいました。
 
 事前に開催案内したところ600人以上の参加希望があって、会場である武蔵野公会堂のキャパを大幅に超えてしまいました。急遽、近くのホテルも借り、それでも参加希望者全員は収容できないので、抽選で465人に絞って開催しました。
 
 介護保険という全く新しい制度が導入され、しかも市町村は保険者、いわば制度運営者です。市町村はみんな、準備段階から大変な思いをしてきて、いざ始まったという高揚感というか、熱いものがあったと思います。スタートから2年目ともなると…

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第14回 医療と介護の連携は介護保険創設前から

 2015年度(平成27年度)には、介護保険法に「在宅医療・介護連携推進事業」が市町村事業として定められ、18年度以降はすべての市町村がこの事業に取り組んでいる。要介護高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けるために医療と介護の連携が不可欠であることは、今ではほとんど常識だが、武蔵野市の医療介護連携は、介護保険の開始からまもない時期に始まっていたという。
 
■ケアマネジャーが主治医と情報共有するために
 武蔵野市における医療と介護の連携の歴史は、ケアマネジャーとの関わりから始まったといえます。
 
 連載第9回で、武蔵野市がケアマネジャーを大切にしていることをお話ししました。武蔵野市は1999年度(平成11年度)に武蔵野市居宅介護支援事業者連絡協議会を立ち上げて、ケアマネジャー研修会を定期的に開催したり、情報公開や質疑応答などを実施したりしていました。
 
 そして2000年度の介護保険スタートと同時に「武蔵野市ケアマネジャーガイドライン」作成に着手し、01年3月にその第1版が完成したわけです。当時から、介護保険サービスを適切に提供する要はケアマネジャーであり…

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第13回 外出を後押しする移送サービス「レモンキャブ」

 テンミリオンハウスと並ぶ武蔵野市の独自事業「レモンキャブ」は、高齢者などを目的地に送る移動・移送支援サービスだ。その誕生には「ムーバス」が関わっていた、と笹井さんは説明する。
 
 レモンキャブのことをお話しする前に、ムーバスについてちょっと説明しておきたいと思います。ムーバスは、日本初のコミュニティバスとして1995年(平成7年)11月に運行開始しました。福祉部局でなく交通部局の事業です。
 
高齢女性からの手紙がきっかけだったコミュニティバス
 ムーバス事業を始めた最初のきっかけは、その5年前に当時の土屋市長あてに届いた市民からの手紙です。差出人は吉祥寺に住む高齢女性で…

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