毎月の事例検討会で
毎月1回、「チーム国立」という事例検討会を開いている。国立市で在宅ケアに携わる在宅医や訪問看護師、行政などが参加している。
毎回、1事例を発表し、テーマを導いて討論する。先日は「悪い話は聞きたくない、という患者」がテーマとなった。報告された事例は大腸がん末期の66歳女性。数年前に夫を亡くし、息子と2人暮らし。息子は昼間は仕事に出るので、日中独居となる。
この方は4年前に大腸がんと診断され、手術と抗がん剤治療を受けた。抗がん剤の副作用がとてもつらく、1年で中止した後は病院から足が遠のいている。病院から紹介されて、今回の発表者である医師のクリニックで診るようになった。
クリニックに来たとき、この方のがんはすでに肝転移と肺転移があった。小康状態が続いていたが、今年の夏、急に状態が悪化。腰痛が激しくなって動けなくなり、ほとんど食べられなくなった。
息子も、母親の体調が悪いとは思っていたが、こんなに急に悪化することは想定していなかった。
医療用麻薬を使ったところ、疼痛は軽減し、痛みのためほとんど何もできなかった状態から、車椅子で室内を移動できるようになった。これで少し持ち直し、調子が良いときは歩いてトイレに行けるようにもなった。ヘルパーが介助し、自宅で入浴もできた。
息子は会社と相談して在宅勤務中心にしてもらい、献身的に母親を介護した。母親の状態は徐々に落ちていき、秋口には近隣のホスピス病棟に入院する。入院後、息子はほぼ毎日面会に来て、母親は穏やかに過ごしていた。そして11月半ばに亡くなられた。
事例を発表した医師は問いかけた。「この患者から、“悪い話は一切してくれるな”と言われていた。皆様はどうされますか。以前なら、私は“そういう人は診られませんのでどうぞ他を当たってください”と言ったかもしれません」。
客観的・医学的事実は悪い話だけではない
1人の若い医師が口火を切った。「悪い話ってどういう話ですか。よくわかりません」。彼が言いたいのは、こういうことだろう。医師が患者にする話は、いい・悪い以前に、客観的・医学的(科学的)事実であるはず。事実を告げることは、患者から拒絶されるようなこと、間違ったことなのか。
確かに、事実を伝えることを拒絶されては、インフォームドコンセントもありえない。医療者は、客観的・医学的事実を淡々と伝えればよくて、いい・悪いは患者の側の捉え方に過ぎない。――という意見だ。若い医師らしい考えだと思う。
この意見を聞いて、私も発言した。余命宣告をされても、その期間以上に長く生きる人は珍しくない。山崎彰郎医師は「がん共存療法」を実践してQOLを維持しているし、痛みをうまくとって自分らしく生きることはできますよ。そんな話をすればよいと思う、と。こういう話だって、客観的・医学的事実なのだから。
あなたはがん末期で肝臓にも肺にも転移し、もう治療できません、あと○カ月ぐらいで死にます。そのときはどこで死にますか、なんていう話ばかりされては、患者もパニックになるだろう。この方はまだ60代だ。そんな話ばかりするから「悪い話はしないで」となってしまう。
客観的・医学的に「悪い話」をしなければならない局面は、もちろんある。大事なのは、それだけで終わらせず、客観的・医学的に「いい話」あるいは「そんなに悪くない話」も、一緒に伝えることだ。そして、患者が今、身体的に何がつらいかをきちんと聞いて、その「つらさ」を取り除くよう、手を尽くすことだ。
あと○カ月ぐらいで死にます、と告げられ、モルヒネも少量しか投与されず痛みが続く。そんな状態のままだったら、「悪い話はしないで」と訴えらえるのも無理はない。
私も新田クリニックの宮崎副院長も、あなたの予後は何カ月、何週間で亡くなります、と言ったことはない。半年以上なら、患者の性格によっては、言うこともある(が、断定的な言い方は決してしない)。
かかりつけ医として長く関わっていれば、性格もわかるし、あうんの呼吸もできてくる。患者の目を見て、わかってもらえるようにもなるのである。
新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。