素早く地域に戻すことも重要
85歳以上の高齢者(以降は超高齢者と表記する)は、医療と介護を切り離せない。超高齢者が急性疾患で入院を余儀なくされたとき、その治療だけでなく、いかに素早く地域に戻すかも重要となる。医療だけでなく、生活を支える視点が必要になってくる。
生活の視点を欠いて医療に偏れば偏るほど、超高齢者は地域に戻れなくなる。入院が長引けば虚弱はどんどん進み、行き場所はなくなってしまう。
地域に戻すために、回復期病棟や地域包括病棟ができた。先端医療等を提供する急性期からできるだけ速やかに、地域に戻るための病院に移る。そしてしっかりリハビリを受けてもらう。しかしながら現実は、回復期リハビリテーション病院でリハビリができなくなっている。
高齢者(超高齢者も含む)の生活の質を維持するうえで、近年、三位一体の支援が重要視されている。三位一体とはリハビリ、栄養、口腔の取り組みで、2023年の「骨太方針」にも掲げられ、24年度の診療報酬や介護報酬にも取り込まれた。
急性期から回復して慢性期の状況で、機能を維持し生活するためのサービス。三位一体の支援はその中核といえるだろう。
そうすると、医者の仕事はトータルマネジメントのようになっていく可能性もある。かかりつけ医機能が地域に根付き、多職種が連携して住民の健康状態をマネジメントする。そんな絵が見えてくる。
そのため、現在検討されている「新たな地域医療構想」がどんな方向に進むか、注視している。病院からかかりつけ医までがどうつながっていくのか。病院のあり方はどう変化するのか。生産年齢人口も減っていくのだから、急性期病院はどの程度必要なのか。
診療所が減ってきている地域では、中小病院は地域にとって重要な役割を担う。超高齢者には看多機もフィットする。地域完結型の医療をつくっていく必要がある。
生活を奪わない治療を提供できるか
そんな目で医師の働き方改革をめぐる議論を見ると、違和感を禁じ得ない。医師の労働時間の多さや“ただ働き”の慣習だけに目が向けられ、これからの日本が長寿・多死社会であることや、地域完結型の医療にはどんな医師像がふさわしいのか、がすっぽり抜けているような気がしてならない。それでいいのか、と思う。
ふさわしい医師像のひとつは、その患者の生活を尊重していることであろう。超高齢の咽頭がん患者に、ある大病院の医師が「手術をすれば治るが、その後は自宅には戻れない」と言った。実話である。そう言われた患者は手術を拒否した。当然のことだ。
しかし、手術を受けてなおかつ自宅に戻れる方法は、実はある。声は失うが、食べる機能は残せる。そうすれば退院し自宅で暮らしていける。生活を尊重するには、そこまでの知見が必要だ。実際その方は、味覚・嗅覚が低下している中でしっかり自宅で暮らしている。
嚥下の力が弱まった超高齢者に「死んでもいいから食べたい」と言われたとき、「あなたは食べると窒息して死ぬから、経管栄養しかダメ」と言うか、「食べても死なない方法がないか、ぎりぎりまで検討しよう」と言うか。どちらがふさわしいかは、言うまでもない。
そしてもうひとつは、患者の人生に沿って命の物語を語れることだ。ヒトとは医学から見ると生物的個体である。その個体が障害、病気を起こしたとき、医師は医療行為を提供する。
しかし、ヒトは生物的個体であるだけではない。人間として人生を歩み、個別の物語がある。そこに医者としてどう関わるか。それは、端的にいうと、その人の死亡診断書を書けますか、ということになる。すぐ救急車を呼んで入院させ、最期を看取らない医師は、死亡診断書を書くことはない。
医療のあり方もふさわしい医師像も変化する時代である。労働力と経済的負担に着目して働き方改革を進めるなら、医学教育の改革も同時に進めるべきではないだろうか。
新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。