状態が悪化して帰れなくなった
70代前半の独居男性が希少なタイプの胃がんと診断された。病院ではできることがないと言われ、新田クリニックの外来で経過を診ていた。次第に動けなくなってきて、看多機を利用することになった。娘さんは父親を心配しながら、最期はどうするか、家に帰らせていいものかどうかと思い悩んでいる。
ある金曜、私が看多機に立ち寄ると、彼から話があると言われた。娘さんと一緒に翌日行くと、家に帰りたい、と言う。つねづね、いつでも帰っていいですよ、自由に決めてください、と言っていたくらいだから、もちろん異論はない。
これまで本人は、帰ったあと一人で暮らせるか心配で、踏み切れなかった。最期を意識するようになって、やっぱり帰りたい、という気持ちになったようだ。
その週末で訪問看護などのめどがついて、週明けの月曜に娘さんと一緒に帰宅するはずだった。ところが、その月曜、状態像が急激に落ち、動けなくなってしまった。このまま看多機で看取ることになるか。
本人はつらそうだ。痛みはコントロールできているから、ほかの原因だろうか。そう思って注意深く様子を見ると、口の中がかなり汚れていることに気づいた。看護師が1時間かけて口腔ケアを実施し、きれいにした。すると、すーっと表情がよくなった。
すると今度は、脚のだるさを訴える。看護師が足首をつかんで、ゆっくり脚を伸ばしたり曲げたり、動かした。これは一種のリハビリテーションで、マッサージと併せて時間をかけて行うと、楽になったようだ。
結局、家に帰ることはかなわず、口腔ケアとリハを受け続けながら看多機で暮らしている。おそらく最期まで、となるだろう。本人も家族も、それで納得している。
オピオイドと鎮静とスピリチュアルケア
この患者さんへのケアは、緩和ケアについてもう一度考える機会となった。一般的に緩和ケアというと、「生命を脅かす問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関して、きちんとした評価を行ない、それが障害とならないように予防したり、対処することで、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を改善するためのアプローチである」とされる(WHO、2002)。
がん患者に対しては、がんと診断されたときから緩和ケアを推進すべきとされる。そのため、緩和ケア=がん患者へのケアのひとつ、というイメージが強い。この患者さんへの口腔ケアやリハも、一種の緩和ケアといえるだろう。
実際には、緩和ケアとは、医療用麻薬(オピオイド)で痛みをとることと、薬で鎮静する(意識状態を弱める)ことと、死に対するスピリチュアルケアが中心だ。これらは病院で亡くなっていくがん患者に対するケアだから、緩和ケアの概念は病院で生まれたのだろう。
私は長く在宅医療に携わり、自宅での看取りも多く経験してきた。地域で、家や生活の場で看取るとき、緩和ケアという言葉はあまり使わない。あえて緩和ケアを持ち込む必要はないと思う。
なぜなら、先ほど紹介した患者さんの苦痛をとるために私たちがしたことは、口腔ケアとリハビリテーションなのである(正確にいえば、オピオイドは使っていて量を増減していた。ただし鎮静もスピリチュアルケアも実施していない)。
この患者さんはもちろん、もう口から食べられない。だから口の中は汚れないと思われがちだが、そうではない。点滴もしていないので、口の中は乾き、汚れはたまりやすくなる。だから口腔ケアは重要だ。
血圧もゆっくり低下し、ずっと寝たままとなる。すると血液循環も悪くなって、心臓から遠い脚が重く、だるくなる。その、“だるさ”をどうするか。看取り段階でなければ、ステロイドを使うなどするだろう。看取りの場合は、マッサージと丁寧なリハが必要なのだ。
1時間ぐらいかけて脚を動かす。最初のうち、本人は少し痛いのだろうか、嫌がるような表情になる。痛いならやめましょう、と言いたくなるところだが、それでもやさしい力加減で続けるうちに楽になって、表情もやわらいでいく。
痛みをとるにも鎮静にも、薬を使う。つまり、これらは医療の領域である。医療的な症状にしか注意が向かないと、その症状を抑えればよし、となる。しかし、患者さんの苦痛はそれだけではない。
だから口腔ケアとリハも最終段階に欠かすことはできない。問題は、それを現場でどこまでやり切れるか、であろう。訪問看護や訪問歯科にそのマンパワーはあるか。
新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。