研修医は十数年受け入れているが、食欲減退にフォーカスした人は初めてで、興味深いレポートであった。今回はその内容をもとに考察したい。なお〈〉はレポートからの引用である。
■はっきりした理由なく食欲低下
彼女が着目したのは79歳の男性患者である。進行性核上性麻痺+アルツハイマー型認知症の疑いで神経病院に通院していた。2022年頃より怒りっぽくなり暴力行為もみられるようになって、ADLも徐々に低下。この年11月の頭部MRI検査では…
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前回も触れたが、「地域包括診療料1」の診療報酬点数は1660点で、同2は1600点。どちらも月1回算定できる。低くない点数であり、このことは同時に、患者負担も安くないことを意味する。
■地域包括診療加算の同意書
新田クリニックは「地域包括診療加算1」を算定している。その点数は、2024年度診療報酬改定で25点から28点に引き上げられた。点数は低いが算定要件や施設基準は地域包括診療料と同じで、けっこう細かい。
算定要件は「患者・家族からの求めに応じ、疾患名・治療計画等の文書を交付し適切な説明を行うことが望ましい」「患者についてのケアマネジャーからの相談に適切に対応」などで、施設基準は「担当医は認知症に係る適切な研修を修了していることが望ましい」「担当医がサービス担当者会議/地域ケア会議に出席した実績がある」などである。
当院では、この地域包括診療加算を算定する患者には同意書にサインしてもらっている。ある患者に対してこの加算をとることは、その患者のかかりつけ医になることと同義だ。日本はフリーアクセス・自由開業制だから、同一患者に対して複数の医療機関が地域包括診療加算(料)を算定するような事態が起こりかねない。
同意書にサインしてもらうのはこれを防ぐためではあるが、かかりつけ医の役割を明示するためでもある。地域包括診療料に関する説明書や同意書のひな型を基に作成した。
同意書は、まず、かかりつけ医として行うことを明記している。
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・生活習慣病や認知症等に対する治療や管理を行います
・他の医療機関で処方されるお薬を含め、服薬状況等を踏まえたお薬の管理を行います
・必要に応じ、専門の医療機関をご紹介します
・介護保険の利用に関するご相談に応じます
■1996年以来点数がついている
かかりつけ医機能を評価する診療報酬には、現在、「地域包括診療料」「地域包括診療加算」「認知症地域包括診療料」「認知症地域包括診療加算」「機能強化加算」などがある。地域包括診療料1の診療報酬点数は1660点、同2は1600点で、どちらも月1回算定できる。
低くない点数である。低くない点数ということは、裏返せば患者負担も安くはない。そのためか、算定している医療機関はそれほど多くないらしい。
医師が患者を継続的総合的に診療することが初めて診療報酬で評価されたのは、1996年に新設された「老人慢性疾患外来総合診療料」だろう。これが2002年に廃止され、08年に「後期高齢者診療料」が新設される。これは10年に廃止された。現行の地域包括診療料が新設されたのは2014年である。
「医師が患者を継続的総合的に診療すること」は、かかりつけ医機能の中核にほかならない。ということは、老人慢性疾患外来総合診療料→後期高齢者診療料→地域包括診療料と名称を変えながら、30年近くの間(途中に数年のブランクはあったものの)、かかりつけ医機能は診療報酬で点数化されていたことになる。曲がりなりにも、というべきだろうか。
後期高齢者診療料には問題点があった。適用が糖尿病、脂質異常症、高血圧性疾患、不整脈、心不全、 脳血管疾患、喘息、認知症など13疾患に限定されていて、肺炎や骨折などそれ以外の疾患にかかったら算定できず…
臨床倫理は介護の現場でも問われる。介護の臨床倫理はとりわけ認知症の人と接するときに問われる。自己決定は尊厳と表裏一体だから、認知症が重度となって自己決定が難しい人の尊厳をどう保つのか。この問いが介護職を悩ませる。
暮らす人が何も自己決定できないような居住空間は、たとえそこにベッドやクローゼットがあっても“生活の場”とはいえない。施設ですらなく、あえていえば収容所だ。
「住まう」という言葉には、自立と尊厳が込められているような気がする。「住まう人」とは単にそこで暮らす人ではなく、自立し尊厳をもって生きる人ではないか(この自立とは、他人の力を借りずに生きることではない)。だから、「住まう」には本人の覚悟も必要だ。
住まう人への在宅医療や在宅介護は、その自立と尊厳を維持するためのサービスといえる。在宅ケア提供者は常にこのことを意識してほしい。
■ケアの倫理を検討する
国立市では、地域ケア会議で要支援1、2の人の事例検討を長く行ってきた。事例検討から、要支援1、2の人には何が必要なのかを検討する。
自分の身の回りのことはある程度できるから、身体介護的なサービスではないだろう。昼間、身体を動かしたり友人と会話したり、一緒に食事したりできる居場所が必要だろう。ケアマネジャーや行政も参加して、そんなことを議論してきた。
2025年度からは、要介護3、4を中心に、ケアの倫理について検討することになった。事例検討ではケアプラン検証ではなく…
■木村利人さんを再読する
生命倫理(バイオエシックス)の研究者で、日本生命倫理学会の会長を長く務められた木村利人さんの『自分のいのちは自分で決める』(2000年、集英社)を再読した。とても面白い。第1章から第4章まで、順に「生」「病」「老」「死」について述べている。各章から、印象に残る節見出しを拾ってみよう。
自分のいのちを自分の手に取り戻す」(第1章)
病気は患者自身が治すもの」(第2章)
「高齢者の生きがいと健康づくり」(第3章)
「死なせないのが医療ではない」(第4章)
これらすべて、この本が出て25年後の今日、私たちが在宅医療で心していることばかりだ。
この本より10年以上前の1987年に刊行された『いのちを考える:バイオエシックスのすすめ』(日本評論社)には「自然な生の終り」という節があって、経鼻栄養を外すことを認めてほしいと、本人と後見人である甥が裁判を起こす実話が紹介されている。そして終末期の病床に臥す人に何が必要かを、丁寧に丁寧に記述する。
87年といえば、昭和62年だ。それから年号が2つ進んだ現代もなお、胃ろうや経管栄養をめぐって議論がなされていることを思うと、木村さんの先見性に感服するしかない。今日の医療現場に生命倫理は生かされているか、考え込んだ。
■臨床倫理の4分割法
前回触れた医療倫理の4原則(自律性の尊重、善行、無危害、公正)とは別に、臨床倫理の4分割法という考え方もある。それはJonsenらが1992年に示した考え方で…
■「倫理上の問題で治療できない」?
前回に続き、『透析を止めた日』(講談社、2024年11月刊)の話を続けたい。ノンフィクションライターの堀川惠子さんが、腎臓病で亡くなった夫・林新さんの闘病を綴った話題の本だ。
肝臓にも病変が見つかり、肝腎同時移植が検討されたが、結局、主治医は移植見送りの判断をした、というくだりで、「倫理」という言葉が登場する。林さんは肝腎同時移植に一縷の望みを賭け、「最後の希望」と口にしていた。
その直後に、主治医から移植断念を告げられてしまう。「移植しないなら、このまま輸血を続けることはもう……」と告げられ、林さんは〈目を見据えはっきりとした声で質した。「先生、それは、生きたいという僕の意志(原文ママ)に反して、治療をやめるということですか」〉。主治医は答える。〈「いえ、少しずつで……。ただ、このまま点滴を続けるのは倫理上の問題が……」〉。
堀川さんが解説する。〈倫理上の問題――。つまり回復の見込みのなくなった患者を、これ以上、医療の力で生かし続けるわけにはいかないということだ〉。
主治医は、このまま点滴を続けることには倫理上の問題がある、と言い、そのあとの言葉を濁しているが、つまり「倫理上の問題があるからもうこれ以上点滴もできない」という意味であろう。
ちょっと待ってほしい。回復の見込みがなくなった患者を医療の力で生かし続けることが倫理に反するなら、在宅医療はできないということにならないか。在宅医療の対象は…
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