第5回 判定ソフトの問題点を指摘し改修を求めた

2023年 4月 21日

 介護保険制度スタートに先立ち、要介護認定のリハーサル「高齢者介護サービス体制整備支援事業」(要介護認定のモデル事業)が1996年度、97年度、98年度(平成8~10年度)と3回実施された。武蔵野市は98年度の事業で一次判定の欠陥に気づく。
 
■「中間評価項目」に指摘が反映される
 98年度(平成10年度)モデル事業終了後、武蔵野市介護保険準備室は「平成10年度高齢者介護サービス体制整備支援事業 事業報告」をA4の冊子にまとめました。
 
 このなかに「平成10年度介護保険モデル事業の問題点・改善提案」という項目を設け、問題点とその改善提案を5ページ強にわたって記載しています。
 
 これを国や都に提出しました。さらに厚生省の山崎史郎さんや三浦公嗣さんを訪ね、「調査票データと一次判定の因果関係がわからず、市町村は市民からの疑問や苦情に答えられない。コンピュータ一次判定ソフトを99年10月からの準備要介護認定までに改修すべき」などと訴えました。
 
 国民誰もが納得しうる合理性のある要介護認定システムに変更しないと、このままでは介護保険制度そのものの信頼性が損なわれる、という危機感がありました。
 
 樹形モデルによって生じるブレをなんとかしないとダメだと考え、山崎さんたちと何度か協議しました。その結果、ブレを大きくしないために、コンピュータによる一次判定ソフトに…
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第7回 保険者システム開発と市民への説明

 1998年度(平成10年度)は、介護認定モデル事業(高齢者介護サービス体制整備支援事業)以外にも重要な準備作業が次々と行われる。同年度前半には、保険者向けの「介護保険事務処理システム」(保険者システム)開発が始まった。
 
■多摩地域の保険者が共同開発
 モデル事業で問題点を指摘した一次判定ソフトは、厚生省が開発して各保険者、すなわち全国の市町村に提供されたわけですが、保険者の業務はもちろん要介護認定だけではありません。

 保険料の賦課徴収やサービス受給の資格管理といった、地味だけど「社会保険」ならではの重要な業務があり、そのためのシステムは保険者が各自導入する必要がありました。
 
 保険者システムについて、武蔵野市は導入にあたり、98年(平成10年)4~5月、3つの方法を検討しました。①市が単独で開発する、②全国共通パッケージソフトを購入する、③A社のシステムを既存システム(国保など)に採用している東京・多摩地域の保険者が合同で共同開発する、の3つです。
 
 ①の単独開発には、市のカスタマイズが容易なメリットがありますが、開発にはコストも時間もかかります。②全国共通パッケージソフトは導入は容易ですが、このシステムに自治体の事務作業を合わせなければならず、武蔵野市の独自性が発揮できません。
 
 けっこう大きなデメリットがあると考えられた①②と比べ、③多摩地域のA社ユーザーによる共同開発であれば、多摩地域共通の事務処理が可能となります。保険料の仮算定など市独自のオプションもつけられるし…

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第6回 モデル事業で要介護認定の重さを実感

 介護保険創設から20年以上経って要介護認定もすっかり定着しましたが、準備期間はすべてゼロからのスタートで、国も市町村もいまだかつて誰も経験したことのない未曽有の仕事に取り組んでいました。
 
 こうやって改めて当時を振り返ると、介護保険制度が市民や国民の信頼を得るための一番の要は要介護認定だ、という思いが強くなります。
■「要介護1ってどんな状態?」に答える
 
 要介護認定モデル事業に取り組んでいた98年(平成10年)当時、どれぐらいの状態像だったら要介護度はいくつぐらいになるのか、厚生省は公表していませんでした。そのため、我々は独自に試案を作りました。
 
 連載3回目で紹介した「介護保険ブックレットⅡ」(98年12月)に、「要介護状態区分の状態像早見表」を掲載しています。
 
 たとえば、「歩行が不安定」「浴槽の出入りが一部介助」なら要支援、「歩行が自力でできない」「浴槽の出入りが全介助」なら要介護3。新しく始まる制度なんだから、こういう目安がないと、要介護1ってどんな状態? という市民の疑問に答えられません。わかりやすい目安が必要だと思っていました。
 
 モデル事業の前、97年(平成9年)9月に出した「ブックレットⅠ」でも、要介護認定の基準に疑義を投げかけています。96年度(平成8年度)のモデル事業(東京は品川区と保谷市=現・西東京市=が実施)の結果…

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第4回 認定モデル事業で一次判定の問題点に危機感

 96年度の1回目、97年度の2回目は参加自治体数が限定されていたので、武蔵野市が参加したのは、3回目、98年度のモデル事業からです。
 
 97年度当時、武蔵野市の高齢者福祉分野の職員は要介護認定に向けたモデル準備の実務より、介護保険法案の根幹にかかわる課題への批判やブックレットの編集・作成に追われていたというのが実情です。
 
 ただし、隣接する保谷市(現・西東京市)が1・2回目のモデル事業に参加していたので、その認定調査や認定審査会を視察・傍聴し、情報共有していました。武蔵野市に専任の介護保険担当が新設されたのは98年4月でした。そのうえで98年度モデル事業に臨んだのです。
 
■要介護認定の準備が最大の山場
 
 要介護認定の結果は、サービス給付に直接リンクします。だから被保険者にとって要介護認定は、自分がどれぐらいのサービスを受けられるかを左右する、重要な判定です。
 
 保険者となる市町村にとっても、実務的な労力を最も必要としたのは要介護認定の準備でした。“本番”のための準備認定が始まるのが99年10月で、モデル事業の実施時期はそのほぼ1年前、98年9月末~11月末です。職員は多忙を極めました。
 
 モデル事業では、市内の65歳以上の高齢者107人(当時の在宅サービス受給者57人と施設サービス受給者50人)に対して要介護状態を判定します。判定の流れは、初めに調査員による介護認定調査を行い…

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第3回 法案に批判的だった武蔵野市

 笹井さんが「3つの衝撃をもたらした」と指摘する介護保険制度は1990年代後半にその骨格が固まっていく。制度設計の過程で、武蔵野市は積極的に発言した。
■介護保険制度開始まで
 介護保険制度がもたらす衝撃を当時、私自身はプラスに受け止めていました。自分たちが主体的に地域の仕事を創りだすことにやりがいを感じていたし、武蔵野市の多くの職員も同じでした。このころ武蔵野市が発行した「介護保険ブックレット」は、そのひとつの象徴といえます。
 「介護保険ブックレット」は97年9月、98年12月、99年9月の3回、制作され、武蔵野市内全戸に配布されるとともに、政府や国会議員、全国の都道府県知事や市町村長に送付された。
■福祉先進都市ゆえの命題
 当時の担当者によると、ブックレット制作にあたっては、当時の土屋正忠市長も参加して、何回もブレーンストーミングを開催しました。掲載する内容のエビデンスとなるデータを集めるのに苦労しました。レイアウトに関してデザイナーとの打ち合わせも頻繁に行い、見せ方に苦心しました。市民だけでなく国会議員や全国の都道府県知事、市町村長などにも送ったので…

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第2回 市町村が保険者となって地方分権の主役を担う

 3つの衝撃の(2)は「市町村が保険者となって地方分権の主役を担う」。これも大きな変化でした。
■市長会や町村会は「市町村保険者」に反発したが
 介護保険制度が始まった2000年4月、地方分権一括法が施行されました。その1つである改正地方自治法によって政策の権限移譲や財源の移譲が行われ、地方自治体は分権の主体として確立し、これからは…

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