高齢化が急速に進む
8月終わりから9月頭まで、タイを訪問した。JICA(独立行政法人国際協力機構)の「草の根技術協力事業」のひとつ、「自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクト」に参加し、現地で地域包括ケアや認知症について講義した。
訪問したのは首都バンコクではなく、パトムタニ県ブンイトー市、プラチュアップキリカン県ホワヒン市、ラーチャブリ県ポータラム郡の3カ所である。
ポータラムはリゾート地として知られる。3地域で診療所や介護士養成学校、ヘルスセンター、一般家庭を訪問する機会をいただいた。以下は、私が直接見聞きした、タイの医療・介護事情である。
まず、タイでは60歳以上を高齢者と定義する。日本で高齢者と定義されるのは65歳以上だが、日本では今や65歳を高齢者とは呼べないだろう。
本質的には、高齢者と定義されるべきは85歳以上かもしれない。高齢者をどう定義するかは、法制度も含めさまざまな意味を持っている。
タイで高齢者が全人口に占める割合は16.4%(2019年)で、日本に比べ高齢化は進んでいない。保健省を訪問した際、高齢化のスピードが速く年に100万人のペースで増えていると聞いた。高齢社会を迎え、高齢者介護の問題が浮上しつつあると感じた。
高齢化の問題には医療・介護を含めた制度の整理が重要である。タイでは保健省と社会開発・人間の安全保障省が医療・介護政策を担っており、その整合性が求められる。注意深く見守る必要があるだろう。
地域医療は病院が中心
ラーチャブリ県には1000床のラーチャブリホスピタルがあるほか、300床程度の病院が2カ所ある。
ポータラムには340床のゼネラルホスピタルと10床のコミュニティホスピタルがが1カ所ずつある。そして診療所に当たる無床のヘルスプロモ―ティングホスピタルが29カ所ある。
ヘルスプロモ―ティングホスピタルはホスピタルというものの、治療行為は提供せず、医師も配置されていない。看護師が常駐し、ヘルスケアにあたる。診療所というより保健センターのような印象だ。日本でも、保健センターが地域の診療所と協働してヘルスケアを担っていた時代があったことを思い出す。
地域医療は病院を中心に形成されているため、患者は病院に集中し、病院が混雑する姿がある。若年社会では、疾病構造は感染症を含めて急性疾患が中心となるが、タイではその傾向にある。
日本では1980年代末ごろから高齢者が増え始めて慢性疾患への転換が始まったが、医療提供体制はまだこれに十分対応しているとはいえない。
時代は動き、タイでも高齢者が増えつつあるため、心疾患や脳卒中が増えている。その後遺症でまひが残るケースも多く、介護ニーズも増えている。日本と異なり整理された介護職の制度はなく、家族とボランティアが在宅介護を支えるのが基本構造である。介護保険導入以前の日本と同じだ。
高齢者介護施設は少なく、脳卒中で入院した人が退院する場所は自宅だけだ。その自宅では、家族とボランティアによる介護が中心で、在宅医療はほとんどない。インフォーマルな施設はあって、その1つを見学する機会があった。
そこは看護師が運営する施設で、経管栄養の方がボランティアのスタッフに見守られながら介護を受けていた。そこでは詳しいことは聞かなかったが、リハビリは実施されていないようだった。栄養管理や感染対策やどのように行われているのだろうか。
訪問看護の制度もなく、地域のヘルスプロモ―ティングホスピタルから看護師が訪問する。ただその頻度は月に1回と少ない。保健省では医師も訪問する予定と言っていたが、少なくともポータラムでは医師の在宅訪問を目にすることはなかった。
医師による在宅訪問は病院から行われているようだが、今回の訪問でそれを目にする機会はなかった。要介護認定のような仕組みはあり、ヘルスプロモ―ティングホスピタルの看護師が認定していた。
ボランティアは盛んで、介護が必要な高齢者を地域の人が看るケースが多いようだ。講習を受けて「高齢者在宅ケアボランティア」となるが、食事や入浴、おむつ交換といった身体介護はしない。これらは家族が担い、ボランティアの役割は見守りや傾聴であった。
滞在中に訪問した、脳梗塞を起こした女性が住む一軒家にも高齢者在宅ケアボランティアが入っていた。そのボランティアは近所に住む女性で、講習を受けて正式なボランティアになった。もう1人、看護師が手配したボランティアも来ていた。
ボランティア事情を比較すると
全体的に、日本の1990年代に近い状況という印象を受けた。大きく異なるのは、ボランティアが多いことだ。ボランティア育成は社会開発・人間の安全保障省が担っているそうで、その理由は想像の域を超えないが、感染対策などが要因と考えられる。
日本ではボランティアがなかなか増えない。2015年の介護保険制度改正で、要支援1・2の人への訪問介護・通所介護・生活支援サービスなどが個別給付でなくなり、市町村事業に移行した。介護保険財源が危ぶまれるなか、個別給付を要介護1以上の人に限定することは、いたしかたないことだ。
要支援1・2の人の生活援助は地域で支えるという発想で、そのために地域のボランティア育成が急務だ。しかし、これがうまくいかない。国立市では「シニアカレッジ」を創設してボランティアを育成してきたが、コロナ禍もあって定着にまだ時間を必要としている。
タイではごく自然にボランティアに参加しているようで、それは国民性に依るのだろうか。ただ研修を受けてボランティアになっても、スキルアップの仕組みはない。スキルアップして身体介護できるようになれば、収入につながるだろう。
日本は高齢化先進国として、タイよりかなり先を進んでいると実感した。ボランティアのあり方は、タイから学ぶ点が多いと思う。
新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。