第4回 認定モデル事業で一次判定の問題点に危機感

2023年 3月 10日

 96年度の1回目、97年度の2回目は参加自治体数が限定されていたので、武蔵野市が参加したのは、3回目、98年度のモデル事業からです。
 
 97年度当時、武蔵野市の高齢者福祉分野の職員は要介護認定に向けたモデル準備の実務より、介護保険法案の根幹にかかわる課題への批判やブックレットの編集・作成に追われていたというのが実情です。
 
 ただし、隣接する保谷市(現・西東京市)が1・2回目のモデル事業に参加していたので、その認定調査や認定審査会を視察・傍聴し、情報共有していました。武蔵野市に専任の介護保険担当が新設されたのは98年4月でした。そのうえで98年度モデル事業に臨んだのです。
 
■要介護認定の準備が最大の山場
 
 要介護認定の結果は、サービス給付に直接リンクします。だから被保険者にとって要介護認定は、自分がどれぐらいのサービスを受けられるかを左右する、重要な判定です。
 
 保険者となる市町村にとっても、実務的な労力を最も必要としたのは要介護認定の準備でした。“本番”のための準備認定が始まるのが99年10月で、モデル事業の実施時期はそのほぼ1年前、98年9月末~11月末です。職員は多忙を極めました。
 
 モデル事業では、市内の65歳以上の高齢者107人(当時の在宅サービス受給者57人と施設サービス受給者50人)に対して要介護状態を判定します。判定の流れは、初めに調査員による介護認定調査を行い…
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第3回 法案に批判的だった武蔵野市

 笹井さんが「3つの衝撃をもたらした」と指摘する介護保険制度は1990年代後半にその骨格が固まっていく。制度設計の過程で、武蔵野市は積極的に発言した。
■介護保険制度開始まで
 介護保険制度がもたらす衝撃を当時、私自身はプラスに受け止めていました。自分たちが主体的に地域の仕事を創りだすことにやりがいを感じていたし、武蔵野市の多くの職員も同じでした。このころ武蔵野市が発行した「介護保険ブックレット」は、そのひとつの象徴といえます。
 「介護保険ブックレット」は97年9月、98年12月、99年9月の3回、制作され、武蔵野市内全戸に配布されるとともに、政府や国会議員、全国の都道府県知事や市町村長に送付された。
■福祉先進都市ゆえの命題
 当時の担当者によると、ブックレット制作にあたっては、当時の土屋正忠市長も参加して、何回もブレーンストーミングを開催しました。掲載する内容のエビデンスとなるデータを集めるのに苦労しました。レイアウトに関してデザイナーとの打ち合わせも頻繁に行い、見せ方に苦心しました。市民だけでなく国会議員や全国の都道府県知事、市町村長などにも送ったので…

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第2回 市町村が保険者となって地方分権の主役を担う

 3つの衝撃の(2)は「市町村が保険者となって地方分権の主役を担う」。これも大きな変化でした。
■市長会や町村会は「市町村保険者」に反発したが
 介護保険制度が始まった2000年4月、地方分権一括法が施行されました。その1つである改正地方自治法によって政策の権限移譲や財源の移譲が行われ、地方自治体は分権の主体として確立し、これからは…

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第1回 介護保険が地域に与えた3つの衝撃

介護保険制度が始まって20年以上が過ぎた。制度の準備段階から現在まで、地方自治体は、介護保険の保険者としてどう動いてきたのか。東京・武蔵野市の健康福祉部長として市の高齢者施策をリードし、定年後は副市長を務めた笹井肇さんが回想する。

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