100歳以上高齢者の総数は今年9月15日現在、9万9763人である(住民基本台帳に基づく)。前年から4644人増え、来年は確実に10万人を超えるだろう。
ヘルパーとコミュニケーション
新田クリニックが訪問診療を提供しているT子さんは101歳、自宅で一人暮らしをしている。5月ごろまでは家の中を歩くことができたが、脱水症を起こしたことがきっかけで起き上がれなくなり、今はほぼ一日中、ベッド上で過ごしている。
認知機能は年相応に低下している。短期記憶障害が著明で私の顔も覚えていないが、重度の認知症とはいえない。持病は…、T子さんが検査を嫌がって何もさせてくれないので、よくわからない。血圧も測ったことがない。上体を起こすときに腰が少し痛いらしいが、そのほか、特に痛いところはなさそうだ。
こう紹介すると、そんな人を一人暮らしさせていいのか、施設で手厚くケアしてもらわないと危ないんじゃないか、と思われるのではないだろうか。
T子さんを支える態勢は、サービス類型でいえば訪問介護が1日3回、訪問看護は1日1回、訪問診療は月に2回入っている。T子さんの暮らしぶりを拝見したいと思い、ご本人の許可を得て訪問介護の様子などを撮影させてもらった(訪問診療では暮らしぶりはわからないから)。
朝8時、T子さん宅を訪れたヘルパーが「T子さん、おはようございます。失礼します。市役所に頼まれてね、お食事の用意に来ました。朝ごはんです。お腹すいたでしょ」と話しかける。T子さんは何か言っているが、不明瞭で聞き取れない。
ヘルパーは朝食を作り終えると、T子さんの体位を変換し、おむつを交換する。T子さんは「早くして」。ヘルパー「わかりました。もたもたしないで頑張ります」と、てきぱき作業する。そして手を洗い、朝食を供した。
「バナナ、自分で食べれる?」とヘルパーが手渡そうとすると、T子さんはバナナを落としてしまった。T子さんは咄嗟に「ああ、ごめん」。
T子さんの発言は聞き取れないものが多いが、「ごめん」ははっきりわかった。ヘルパーに気を使い、社会的コミュニケーションができている。窓を開けたいなどと意思表示したり、生き生きと振る舞っていた。
暮らしの主人公として生きる
昼や夕方の訪問では、食事や排泄介助に加えて口腔ケアや爪切りも行う。その間も、ヘルパーはT子さんに明るく話しかけていた。
そして帰り際、ヘルパーが「そろそろ帰るね」と言うと、「帰る? どこに? 国に帰るの?」とT子さん。ヘルパーは動じず「国、うん、そうなの。T子さんはここがお家だからここにいて。また来るからね」。
訪問介護事業所によると、T子さんの訪問介護は地域包括ケアセンターからの依頼で始まったという。T子さんは当初、ヘルパーの訪問を嫌がり、大声を出すこともあったそうだ。
安心させようと「何もしなくて大丈夫、みんなやるから安心して」と言うと、T子さんは「なんだか飼われてるみたいだ」と言ったそうだ。それからは何でも手出しすることは避け、本人がやりたいことを優先してサポートするようにした。
T子さんのサービス担当者会議では、後見人である司法書士が洗濯機の購入とエアコンの買い替えを報告していた。脱水症を防ぐためゼリーの購入も増え、支出が増えたことも。ヘルパーはじめ、優秀なスタッフがT子さんの周囲を固めているのだ。
こうして、T子さんは自分の暮らしの主人公として生活している。100歳を過ぎ、認知症があって、「暮らす」「生きていく」とは、こういうことなんだろうと思う。
100歳を過ぎて認知症の人には、誰かが24時間べったり張り付いていないとダメという思い込みがある。実はそうではない。食事や排泄といった要所要所で介助すれば、あとはその人の自由な時間だ。生活するとはそういうことであり、24時間、見守りと称して監視する必要はない。
ではT子さんの生きる上の楽しみとは何か。今ほど衰える前、T子さんは自宅の周囲を掃除することが好きだった。毎朝早くから、落ち葉をサッサッと掃き掃除していた。それができなくなった今、もう楽しみはないのだろうか。
今のT子さんの楽しみは、おそらく食べることだと思う。この楽しみをできるだけ長く維持して、T子さんが主人公の暮らしを支えていきたい。
そしてもう一つ。T子さんの動画を改めて見て、T子さんと接するヘルパーもまた生き生きと仕事をしていることに気づいた。T子さんはヘルパーに「ケアされている」だけではない。T子さんはケアされながら、支援する側に生きがいを与えているのだ。

新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長
1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。