フレイル予防というミッション
髙橋 介護保険ができた2000年当時と比べて長寿化が進み、介護予防に加えてフレイル予防という概念が定着しています。辻󠄀さんはフレイル予防推進にかかわっていますね。
辻󠄀 フレイルとは加齢に伴う虚弱のことですが、これは老いに伴う現象であって病気ではない。もちろん病原性のフレイルもあります。例えば脳卒中を起こして、まひが残るなど心身の状態が落ちるのも、フレイルです。糖尿病も、フレイルを進行させる要素です。
でも、フレイルの根本は、老いたら弱るという自然現象なんですね。この領域には生活習慣病のように特効薬はありません。ただし、フレイルの段階だと、高齢者自身の一定の行動変容だけで進行を遅らせたり、軽減させたりできるという可逆性があります。
髙橋 高齢者が亡くなるまでの経過は、辻先生の同僚であられた秋山弘子東大名誉教授の論文で指摘されているとおり、その要因によって大きく3パターンに分かれますね。
日本人の死因1位であるがんは、ある程度QOLを保ったまま長らく経過した後、末期となって亡くなります。だから、がん死は割と死期を予測しやすいといわれます。
心不全に代表される、急性増悪を何回か繰り返して亡くなるのが2つ目。3つ目は老衰で、長い時間をかけてだらだらと落ちていき、亡くなります。がんや心不全といった病気は、治療によってある程度コントロールされます。しかし、それこそ老衰に代表されるような老いそのものは、治す薬はありません。
治す薬はないけれど、生活の質を維持したいという要請とも相まって、老衰の入り口であるフレイルを予防する必要があるわけですね。
辻󠄀 フレイルは老衰の入り口だし、寝たきりの原因となる骨折や、認知症の引き金にもなります。私は厚生労働省の現役時代、メタボリックシンドローム予防の枠組み作りに携わりました。
メタボは生活習慣病の原因となり、生活習慣病はひいては脳卒中や心疾患を引き起こします。結局、高齢期の心身の機能低下に収斂していくわけです。
メタボ予防は、運動量を増やし摂取カロリーをコントロールすることで内蔵脂肪を減らすことが有効です。高血圧や糖尿病といった生活習慣病は、メタボ予防で防げるし、発病してからは、薬物による治療法が確立しているのでコントロールできます。これは医学の大きな成果です。
ところが、フレイルは病気ではなく自然現象で、身体的、精神的、社会的といった多面的な衰えです。これをどう予防するのか。一定以上に老化が進めば、ある時点以降は不可逆な、元には戻りにくい状態になるのが摂理でしょう。そういう段階になった老人にリハビリをもっと頑張れ、と言ってもそれはなかなか難しい。
その手前のフレイルの状態を予防するという戦略が必要です。フレイルが生じる背景は、食事量が減って栄養が不足し筋肉が落ち、筋肉が落ちるから代謝機能が落ちて、食欲がなくなってまた栄養が低下する、というフレイル・サイクルが学術的に解明されています。
だから、栄養を摂って、適度に運動して、筋肉量を保てば、フレイルは予防できるのです。
併せて、フレイル予防研究の第一人者である飯島勝矢教授は、柏市での大規模調査(柏スタディ)のデータを用いて仮説モデル検証法で解析し、フレイル・サイクルに陥る手前に社会性の低下があることを明らかにしました。
栄養と運動だけでなく、社会参加もフレイル予防の重要なファクターであることをエビデンスベースで突き止めたのです。
髙橋 フレイルは身体的な要因だけでなく、心理・精神的、そして社会的な要因でももたらされるから、たとえば食事について、「何を食べるか」より「誰と食べるか」を重視すべき、と言われるのですね。
この社会的要因というのは、医療介護の専門職からしばしば見落とされがちのようです。
フレイル予防を含む介護予防の観点から、地域包括ケアシステムの今後の展開についてどんなことをお感じですか。
専門職はどうかかわるべきか
辻󠄀 介護予防については、専門職の関わり方に最近気になることがあります。要支援・要介護と判定されれば、ケアプランが作られて専門職が支援する。これは重要ですが、専門職がハイリスク者の個別対応に閉じこもっている感があります。
もっと早い段階であれば可逆性も高く、心身に余裕もあるので、この段階で地域住民に集団単位で対応するという政策をもっと丁寧に行うべきです。
一般介護予防事業における通いの場づくりはポピュレーションアプローチとして大変優れた政策ですが、専門職は、その段階での対応を更に論理化して位置づけ、戦略的にハイリスクアプローチに繋げるという着想が必要です。
髙橋 すると専門職は、元気高齢者の活動にもっと関わるべきですか。
辻󠄀 そう思います。元気な段階での対応は、住民自身の気づきと自己努力が基本ですから、住民の自助を行政が過度に強調することになりかねず、そこは慎重になるという面はあると思います。
しかし、最後は薬という手段のないフレイル予防に関しては地域住民の自助ということがとても大切で、専門職としてもう一工夫した対応が必要です。
そう考えると、互助が大切になります。住民同士が共感しながら励まし合うということです。それは社会参加にもつながります。フレイル予防として今必要なのは、住民の自助と互助が一体となった予防システムを確立することです。
このためのフレイルチェックという方式について後でまた触れますが、現在100程度の市町村で住民ボランティアがフレイルチェックという取り組みを通してフレイルを学び、自らチェックし合いお互いに励まし合うというシステムが広がりつつあります。
専門職がこれにどうかかわるか、どう支援するかということです。そんな新しい手法が行政に求められています。
髙橋 そういう地域活動には、専門職が張り付くというより、もっと大きな枠組みの発想が必要ですね。
フレイル予防からコミュニティづくりへ
辻󠄀 住民の自助と互助が一体となった予防を実現するとは、どういうことかというと、コミュニティを活性化させるということです。
コミュニティというのは昭和40年代、当時の経済企画庁の国民生活局が言い始めて、我々厚生省の人間はこれに魅力を感じて勉強した時期があります。けれども青い鳥のごとく、都市部では難しいと感じた記憶があります。当時は高度経済成長期で、都市の人口がどんどん膨らんでいました。
しかし、今も当時のように「都会では無理」と諦めてしまったら、超高齢社会日本の未来への展望を失ってしまう、と私は確信するようになりました。
髙橋 御調の山口先生は、「人が住む地域をエリアからコミュニティに変えていく必要がある」と語っておられました。「エリアとコミュニティには大きな違いがある、人がきちんと暮らしていてまわりとつながって生活しているところがコミュニティ」「人が住んでいてもお互いの関係が希薄で殺伐とした地域であれば、そこはエリアにすぎない」*と。
そうすると、コロナ禍で外出が制限されたことは、とりわけ高齢者にとって大きな影を落とすことになるでしょう。
辻󠄀 東京大学高齢社会総合研究機構(IOG)の調査でも、コロナによる体力低下についてデータが出ています。長い目で見れば、要介護認定率はコロナで少し上がるのではないでしょう。その要因として、外出が困難になったことは確かにあります。
ただ、リアルに集まるのが無理ならzoomを利用して、それぞれの自宅で一緒に運動することも可能です。ネット環境がない人には手紙を送ったり電話をかけたりして、つながりを保ち続けるという、実際にそういう取り組みを実践した地域も多かったと思います。
より多くの高齢者が社会性を持った存在として集い関わり合うようなコミュニティを築けるかどうかが問われているわけです。そういう意味で、フレイル予防というのは極めて重要な課題を社会に投げかけています。
超高齢社会を幸せに暮らすには、我々は自助と互助は一対のものであると自覚し、社会性を持った存在になることです。そのためにコミュニティをどう築くか、ということです。
髙橋 フレイル予防で辻󠄀さんが注目する取り組みはありますか。
辻󠄀 高知県仁淀川町の取り組みです。仁淀川町は典型的な中山間地域の四国の街で、若い人は都会に出ていき、高齢者ばかり。高齢化率は50%を超えています。
2019年に高知県とIOGが支援して同町に「住民主体のフレイルチェック活動」を導入しました。フレイルサポーターというボランティアが前面に出て、地域住民の集まりでフレイルチェックをするという営みを通して、住民は自分の弱っているところを発見し、どうしたらいいかを学びながら励まし合うという運動が広がりました。
やがて住民は治す薬のないフレイル予防は自分たち自身の努力でしかできない、逆に言えば自分たちが努力したらより良い未来を築けるという考え方に向かっていったのです。
フレイルサポーター自身がC型リハに相当するような活動をし始め、専門職はそれを裏方でバックアップするようになったのです。
このようにフレイルを正しく学んで、最後はだれもが弱っていくことも理解すると、皆さんは「私たちは、身体は弱っても心は弱らない」と言い始めたんです。そして、次世代にこの地域を継承するための運動が発生しました。
素晴らしい“化学変化”ですし、老いを正しく理解するとは、次世代のためにどう生きるかを考えることだと痛感しました。フレイル予防の思想が、心は弱らないという境地まで昇華していったのです。
秋山弘子東大名誉教授が唱える「貢献寿命」を思い出します。貢献寿命とは、いつまで社会の中で役割をもって生きられるか、ということです。それが進んでいくと、地域包括ケアは共生社会論に、「ごちゃまぜ」にも確実につながる。こういう道筋が見えてきます。
髙橋 「ごちゃまぜ」とは、ケアを必要とする多様な人々をその原因や世代を超えて分け隔てなくケアすることですが、これが今の縦割り制度では難しいのです。
辻󠄀 このことも含めて、厚労省のこれからの仕事に大きな期待を寄せています。
2040年のあるべき姿とは
髙橋 社会保障給付費のうち、医療が40.8兆円、介護は13.1兆円です(2022年度予算ベース)。これらはもちろん、サービス給付に使われるわけですが、同時に、地域の活性化にもつながっています。年金もそうですね。
ところが、先ごろ大きく報じられた東京の精神科病院のような、おかしな使われ方がいまだに残ってしまっている。そうではなく、次世代に残す社会をつくるために、地域の拠点などに回していくべきです。
社会保障が高齢者中心から全世代型へとシフトして、子ども子育てもクローズアップされています。これまで築いてきた縦割りの行動様式からの移行論が必要なのだと思います。給付と負担を議論するときには、こういう観点が不可欠な時代になってきました。
辻󠄀 同感です。周知のとおり、既に人口が減少傾向に入っている中で、2040年に向けて85歳以上人口が急増する。これからが勝負なんですね。
85歳以上になると、要介護認定率は6割近くに達します。とても弱った人が増えるということですよ。経済の動いている市街地の地域に若い人が集中するとすれば、いわゆる住宅地の高齢化率は40%以上というのが当たり前になっていくでしょう。
その住宅地では夫婦だけか独居という高齢者世帯が圧倒的多数で、彼らの収入のほとんどは年金である。こういう社会をどう持続可能性のあるものにしていくかが私たちの世代の使命です。
弱った人を、「高齢者だけ」「障害者だけ」「子供だけ」と縦割りで“効率的に”ケアするなら、弱った人はみんな縦割りの施設に追いやられます。その一方、若い人が経済の活発な都市に移ると、住宅地域は荒廃してしまう。
したがって、今や地域包括ケアを担う在宅医療・介護事業は重要な地域産業でもありますが、その大前提として、都市部も地方も今後の地域のあるべき姿とは、多様な人々の地域共生を目指すコミュニティの確立ではないでしょうか。
コミュニティを再構築する際に、鍵はやっぱり数の多い高齢者だと思うんです。高齢者が地域を支える主体であり、併せて共生社会である、という認識をまず持つ必要があります。フレイル予防の取り組みはその起点でもあるのです。
高齢者の社会参加で行政の役割も変わる
辻󠄀 すると、高齢者の就労が大きな課題となります。どんな地域でも、介護、子育て支援、学校、行政、農業はありますが、人口減少で人手不足となります。それらの分野から仕事を切り出して、高齢者は、体力的に可能な範囲で何人かで一人分といった形態で地域に貢献するという心構えで就労をしていく。
それを含めて地域づくりを考えないと、地域の持続可能性も危ぶまれるでしょう。いささか我田引水ではありますけれども、超高齢社会の在り方を考えるなら、やっぱりフレイルを学ぶことは重要です。
仁淀川町の動きは大変感動的です。同町の皆さんのように、老いの過程における可能性と限界の両面を自ら理解するというのは、かなり深い意味があるんですね。それは、高齢者が社会性とコミュニティに目覚めるということでもあります。
フレイルに限らず、特殊詐欺などから財産を守る防犯、地震や大雨などに備える防災など、高齢者が自分たちの問題として引き寄せる課題はいくつもあります。それらを足掛かりにコミュニティを活性化させて、地域高齢者が主体的に地域を担うということを本気で考え、実現させるのです。
髙橋 行政の役割も変わっていきそうです。
辻󠄀 少なくとも医療・保健・福祉に関連する分野の公務員は、公衆衛生の方法論もさることながら、今流行りの言葉で言ったら地域マネジメントの手法を身につけ、地域住民の自助・互助を一対のものとして引き出していく必要があります。
それからもう1つ大事なことは、政策をロジカルに展開する計画行政をマスターすることです。そのためには、データを読める力が要ります。
要するに、地域包括ケアというのはまちづくりなんですよ。公務員、とりわけ専門職の意識改革も不可欠で、パターナリズムに陥らず、住民に伴走し、住民の力を引き出す姿勢が求められます。国としても、自治体職員の人材養成の在り方について一定のリードをしていただけるとありがたいと思います。
「フレイル予防推進会議」構想
髙橋 日本の人口はこれから急激に減少し、このままでいくと2200年ごろには江戸時代の水準である3000万人台に戻ると予測されています。この姿は想像しづらいのですが、江戸時代の研究を参考にすると、定常状態に達すれば、地域で生き生きと暮らし、地域で亡くなっていける社会を取り戻せるという見方もできますね。
ケアの世界も、高齢者、障害者、困窮者…に分化する縦割りシステムではなく、「ごちゃまぜ型」ができているでしょう。しかし、このような安定した社会への転換に伴う困難は想像するに余りあります。
しかしながら、辻󠄀さんのお話をうかがい、フレイル予防には、まさにそういう転換をどのように克服するか、というソリューションとしての意味が含まれていると腑に落ちました。
辻󠄀 フレイル予防は、ポピュレーションアプローチが重要という認識からフレイル予防に取り組む中で、結局、コミュニティの問題に行き着いた。フレイル予防は運動や栄養だけじゃなく、社会性の確保が重要であり、これをコミュニティ作りの1つの柱にできないかという論理に到達しました。
私たちは、今それを模索しています。これを実現するためには、全国民の切実な課題であるフレイルを論理化して学び、自助・互助一体のフレイル予防の機運を地域に起こす方法論を考える人材づくりが必要です。
その人材をどう育成していくか。まず地方行政と産業界でフレイル予防のポピュレーションアプローチの運動論に賛同する人に集まっていただき、「フレイル予防推進会議(仮称)」**を立ち上げようとしています。小さな営みから始めますが、大きな夢を持って行動したいと思っているところです。
髙橋 今日は、厚生省で国民の健康増進施策に長く携わってこられた辻󠄀さんならではのお話をお伺いできました。フレイル予防に「社会参加」が加わったのは、それまでの医学モデル一辺倒の健康増進事業とは一線を画し、長寿社会の本質を衝く有意義なことと納得しました。ありがとうございました。
*『医療と介護 Next 2017年秋季増刊』より
**「フレイル予防のポピュレーションアプローチに関する声明と提言(フレイル予防啓発に関する有識者委員会)」より