第39回 タイの医療・介護事情を垣間見る

2023年 10月 20日

高齢化が急速に進む
 8月終わりから9月頭まで、タイを訪問した。JICA(独立行政法人国際協力機構)の「草の根技術協力事業」のひとつ、「自治体ネットワークによるコミュニティベース統合型高齢者ケアプロジェクト」に参加し、現地で地域包括ケアや認知症について講義した。

 訪問したのは首都バンコクではなく、パトムタニ県ブンイトー市、プラチュアップキリカン県ホワヒン市、ラーチャブリ県ポータラム郡の3カ所である。

 ポータラムはリゾート地として知られる。3地域で診療所や介護士養成学校、ヘルスセンター、一般家庭を訪問する機会をいただいた。以下は、私が直接見聞きした、タイの医療・介護事情である。

 まず、タイでは60歳以上を高齢者と定義する。日本で高齢者と定義されるのは65歳以上だが、日本では今や65歳を高齢者とは呼べないだろう。

 本質的には、高齢者と定義されるべきは85歳以上かもしれない。高齢者をどう定義するかは、法制度も含めさまざまな意味を持っている。

 タイで高齢者が全人口に占める割合は16.4%(2019年)で、日本に比べ高齢化は進んでいない。保健省を訪問した際、高齢化のスピードが速く年に100万人のペースで増えていると聞いた。高齢社会を迎え、高齢者介護の問題が浮上しつつあると感じた。

 高齢化の問題には医療・介護を含めた制度の整理が重要である。タイでは保健省と社会開発・人間の安全保障省が医療・介護政策を担っており、その整合性が求められる。注意深く見守る必要があるだろう。

地域医療は病院が中心
 ラーチャブリ県には1000床のラーチャブリホスピタルがあるほか、300床程度の病院が2カ所ある。

 ポータラムには340床のゼネラルホスピタルと10床のコミュニティホスピタルがが1カ所ずつある。そして診療所に当たる無床のヘルスプロモ―ティングホスピタルが29カ所ある。

 ヘルスプロモ―ティングホスピタルはホスピタルというものの、治療行為は提供せず、医師も配置されていない。看護師が常駐し、ヘルスケアにあたる。診療所というより保健センターのような印象だ。日本でも、保健センターが地域の診療所と協働してヘルスケアを担っていた時代があったことを思い出す。

 地域医療は病院を中心に形成されているため、患者は病院に集中し、病院が混雑する姿がある。若年社会では、疾病構造は感染症を含めて急性疾患が中心となるが、タイではその傾向にある。

 日本では1980年代末ごろから高齢者が増え始めて慢性疾患への転換が始まったが、医療提供体制はまだこれに十分対応しているとはいえない。

 時代は動き、タイでも高齢者が増えつつあるため、心疾患や脳卒中が増えている。その後遺症でまひが残るケースも多く、介護ニーズも増えている。日本と異なり整理された介護職の制度はなく、家族とボランティアが在宅介護を支えるのが基本構造である。介護保険導入以前の日本と同じだ。

 高齢者介護施設は少なく、脳卒中で入院した人が退院する場所は自宅だけだ。その自宅では、家族とボランティアによる介護が中心で、在宅医療はほとんどない。インフォーマルな施設はあって、その1つを見学する機会があった。

 そこは看護師が運営する施設で、経管栄養の方がボランティアのスタッフに見守られながら介護を受けていた。そこでは詳しいことは聞かなかったが、リハビリは実施されていないようだった。栄養管理や感染対策やどのように行われているのだろうか。

 訪問看護の制度もなく、地域のヘルスプロモ―ティングホスピタルから看護師が訪問する。ただその頻度は月に1回と少ない。保健省では医師も訪問する予定と言っていたが、少なくともポータラムでは医師の在宅訪問を目にすることはなかった。

 医師による在宅訪問は病院から行われているようだが、今回の訪問でそれを目にする機会はなかった。要介護認定のような仕組みはあり、ヘルスプロモ―ティングホスピタルの看護師が認定していた。

 ボランティアは盛んで、介護が必要な高齢者を地域の人が看るケースが多いようだ。講習を受けて「高齢者在宅ケアボランティア」となるが、食事や入浴、おむつ交換といった身体介護はしない。これらは家族が担い、ボランティアの役割は見守りや傾聴であった。

 滞在中に訪問した、脳梗塞を起こした女性が住む一軒家にも高齢者在宅ケアボランティアが入っていた。そのボランティアは近所に住む女性で、講習を受けて正式なボランティアになった。もう1人、看護師が手配したボランティアも来ていた。

ボランティア事情を比較すると
 全体的に、日本の1990年代に近い状況という印象を受けた。大きく異なるのは、ボランティアが多いことだ。ボランティア育成は社会開発・人間の安全保障省が担っているそうで、その理由は想像の域を超えないが、感染対策などが要因と考えられる。

 日本ではボランティアがなかなか増えない。2015年の介護保険制度改正で、要支援1・2の人への訪問介護・通所介護・生活支援サービスなどが個別給付でなくなり、市町村事業に移行した。介護保険財源が危ぶまれるなか、個別給付を要介護1以上の人に限定することは、いたしかたないことだ。

 要支援1・2の人の生活援助は地域で支えるという発想で、そのために地域のボランティア育成が急務だ。しかし、これがうまくいかない。国立市では「シニアカレッジ」を創設してボランティアを育成してきたが、コロナ禍もあって定着にまだ時間を必要としている。

 タイではごく自然にボランティアに参加しているようで、それは国民性に依るのだろうか。ただ研修を受けてボランティアになっても、スキルアップの仕組みはない。スキルアップして身体介護できるようになれば、収入につながるだろう。

 日本は高齢化先進国として、タイよりかなり先を進んでいると実感した。ボランティアのあり方は、タイから学ぶ点が多いと思う。

新田國夫氏

新田國夫(にった・くにお) 新田クリニック院長、日本在宅ケアアライアンス理事長

1990年に東京・国立に新田クリニックを開業以来、在宅医療と在宅看取りに携わる。

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第34回 要介護高齢者の自立を考える

■重度障害者の自立とは
 『異端の福祉』(高浜敏之、幻冬舎メディアコンサルティング)という本に、重い障害をもつ人の自立について考察する一節がある。興味深い考察であり、自立とはどういうことか、改めて考えてみたい。
 
 著者の高浜氏は重度障害者の在宅サービス「重度訪問介護」の事業所を経営する。この事業所は全国展開し、重度障害者の脱施設化に寄与している。当事者は施設を出て地域で、在宅で暮らせるようになってきた。
 
 本書のなかで、自立生活運動の父と呼ばれる米国のエド・ロバーツ氏(1939-1995)が紹介されている。障害者のための組織「自立生活センター(CIL)」を創設したロバーツ氏はポリオの後遺症で四肢不自由となり、人工呼吸器も使用していた。
 
 本書によれば、彼は「できるだけ普通の人間になろうとしてリハビリテーションを受けた」という。その結果、装置を使えば自分ひとりで食事できるようになったが…

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第33回 在宅医療の圏域は地域包括ケアシステム圏域

■第8次医療計画に向けた議論で
 2024(令和6)年度から、介護の世界では第9期介護保険事業計画に入り、医療では、第8次医療計画が始まる。医療計画は都道府県が策定し、1次6年だから第8次は2029年度までとなる。このなかで在宅医療はどのように位置づけられるのか。
 
 厚労省「第8次医療計画等に関する検討会」のワーキンググループ(WG)の1つ、「在宅医療及び医療・介護連携に関するWG」で議論が続けられている。
 
 WGでの議論は、①在宅医療の提供体制、②急変時・看取り、災害時等における在宅医療の体制整備、③在宅医療における各職種の関わり、の3点に集約される。
 
 一方、東京都は、地域の実情に応じた在宅療養の推進を図るため、「東京都在宅療養推進会議」を設置して議論を続けている。この会議は医師・看護師といった専門職、都の3師会と看護協会、行政、患者・家族など、幅広い委員から構成され、私は会長を拝命している。
 
 「東京都在宅療養推進会議」は3月、「在宅医療及び医療・介護連携に関するWG」が提示する①~③について検討した。今回は、そのうち①について考えたい。
 
 WGは①在宅医療の提供体制について、適切な在宅医療の圏域を設定することとしている。その前提として、在宅医療の提供体制に求められる機能を…

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第32回 認知症でもひとり暮らしができる条件

 この連載で2年前、新田クリニックが訪問診療している在宅患者のTさん(90代女性、独居)を紹介した。
 
 Tさんはもともと新田クリニックの外来に来ていた患者ではない。4年前、家の中で転倒して動けなくなり、大声で助けを呼んだ。近所の人が気づいて地域包括支援センターに連絡し、その依頼で訪問診療を始めた。
 
 当時は近所の植え込みを勝手に刈り取ってしまい、近隣住民とトラブルになったこともある。当時から認知症があり、ADLは落ちていたが、とりたてて治療を必要とする持病はなかった。
 
■ケアはほとんど介護だけ
 現在98歳のTさんは、認知症が進みADLも低下してきたものの健在である。ヘルパーが朝昼夕と3回入り、食事や排泄を介助している。
 
 室内を伝い歩きしてポータブルトイレを使い、買い物や調理はできないが、ヘルパーが作った食事を1人で食べる。
 
 訪問看護も入って健康管理しているが、Tさんは医療をきらって血圧を測るのも一苦労だ。採血は、これまで1回もできていない。それでもコロナ流行期に発熱することもなく、暮らしを維持している。
 
 近隣住民は次第にTさんを理解し、受け入れるようになった。外に出てきても危なくないよう、スロープを要請したのも近所の人だ。Tさんがだれかを探すように歩き回れば…

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第31回 医療的ケア児も地域包括ケアでみる

■「うちの子にはかかりつけ医が3人」
 子どものかかりつけ医をどう考えるか、未就学児や小学生の母親たちに聞いたことがある。
 
 ある母親は「うちの子にはかかりつけ医が3人いる」と答えた。予防接種を受けさせるクリニック、発熱したら受診させるクリニック、受傷したとき連れていくクリニック。自宅から行ける範囲のそういうクリニックを、ネットで調べたという。
 
 この母親にとって子どものかかりつけ医の役割は、予防接種や熱やけがへの対処に限定されているようである。
 
 この母親に限らず、小さい子の親御さんは20代や30代であることが多いだろうから、「なんでも相談できるかかりつけ医」という存在そのものが身近に感じられないのかもしれない。なんでも相談できるのは、友人たちか。
 
 なんでも相談できるかかりつけ医が子どもにも必要であることは、言うまでもない。ただし、高齢者のかかりつけ医(機能)とは切り離して議論する必要がある。
 
 子どもの日常生活は成長と隣り合わせで、教育も必須だ。親など周囲のおとなとの関わりも重要で、これらは健康にも大きく作用する。
 
 子どものかかりつけ医(機能)にはこうした視点が欠かせない。高齢者のかかりつけ医(機能)に必要な視点とは全く異なる。高齢者と子どもには、病気やけがといったイベント発生時のみならず…

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第30回 かかりつけ医は誰に必要なのか

■広辞苑の変化に注目
 広辞苑の「医療」の項目をご覧になったことはあるだろうか。広辞苑で「医療」がどう定義されているか、現在発売されている第七版(2018年)と、その1つ前の第六版(2008年)を比べてみた。その変化はとても興味深い。
 第六版では、医療とは「医術で病気をなおすこと。療治。治療。」とあるのみで、この次には「医療過誤」「医療技術短期大学」が出てくる。それが、第七版では「①医術で病気をなおすこと。療治。治療。②医学的知識をもとに、福祉分野とも関係しつつ、病気の治療・予防あるいは健康増進をめざす社会的活動の総体。」と、②が加えられている。そのあとに「医療過誤」「医療技術短期大学」だ。
 医療とは何か。広辞苑の解釈はこのように変わった。第七版の記述は、高齢者向け医療が念頭にあるのだろう。「福祉分野とも関係しつつ」「社会的活動の総体」を加えたこの筆者は見事だと思う。現代の医療、超高齢社会の医療をきちんと理解し、新しい概念を反映している。
■かかりつけ医を法制度に明文化する動き
 厚生労働省の社会保障審議会医療部会が、「かかりつけ医機能が発揮される制度整備」について議論している。医療法を改正して明文化する方針という。
 この制度の骨格案が昨年12月の部会に示された。肝は…

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