テンミリオンハウスと並ぶ武蔵野市の独自事業「レモンキャブ」は、高齢者などを目的地に送る移動・移送支援サービスだ。その誕生には「ムーバス」が関わっていた、と笹井さんは説明する。
レモンキャブのことをお話しする前に、ムーバスについてちょっと説明しておきたいと思います。ムーバスは、日本初のコミュニティバスとして1995年(平成7年)11月に運行開始しました。福祉部局でなく交通部局の事業です。
高齢女性からの手紙がきっかけだったコミュニティバス
ムーバス事業を始めた最初のきっかけは、その5年前に当時の土屋市長あてに届いた市民からの手紙です。差出人は吉祥寺に住む高齢女性で、「足が悪くなって長く歩けず自転車にも乗れません。でも駅前の繁華街に出かけたい。なんとかしてください」という内容でした。
この方の住まいは吉祥寺駅から徒歩15分ほど。歩ける人や自転車に乗れる人にはどうってことのない距離です。数分歩けば幹線道路に出られて、そこには吉祥寺駅行きの路線バスも通っています。
この方も元気だったころは、幹線道路まで歩いて路線バスに乗り、吉祥寺駅前に出て、友達と会食したり買い物したり、楽しんでいたそうですが、だんだん足が弱り、バス通りまで歩けなくなった。路線バスに乗れなくなり、駅前に出られなくなってしまった。タクシーは高くて、気軽には乗れないし。
高齢者が外出できなくなって家に閉じこもると、どんどん弱ってしまいます。手紙を読んだ土屋市長は、バス通りでない、住宅街の狭い道路に路線バスを走らせることはできないか、と考え、91年に有識者を集めて研究会を立ち上げました。
新たなバス路線を開通させるには、運輸省(当時)や警視庁に通さなければならず、難航したそうです。苦労して、95年に開通が実現しました。ムーバスという名称の由来はmove us、ムーブ・アス(「私たちを動かして」)。
コミュニティバスって、バス・タクシーがなかなか利用できない公共交通の空白地域に小型のバスを走らせる、というイメージが強いのではないでしょうか。
ムーバスにはそういう役割ももちろんありますが、その思想はむしろ、虚弱の高齢者や障害をお持ちの方、乳幼児を連れた親などが気軽に外出できる仕組みをつくる、というものでした。幹線道路のバス停まで歩くことが困難な人の外出を支援し、自立的な生活を享受してもらうために制度設計しました。
だから、バス停の間隔は200メートルと短く設定しています。住宅地を縫うように走るから車体はマイクロバス。運行開始当時、ノンステップのマイクロバスはなかったので、電動補助ステップを装備していました。現在運行している車両はノンステップです。
制度設計の段階では、交通部局と福祉部局が連携しました。当時は介護保険制度がなく、要介護認定もなかったので、我々福祉部局は「障害高齢者の日常生活自立度(寝たきり度)」を用いて高齢者の状態を客観的に評価しました。
この自立度でいうJ1、J2、A1ぐらいの人たち(後述)は、何メートルぐらい自力歩行できる、それらの層は何人ぐらい、といったデータを交通部局に提供しました。ムーバスのバス停を200メートル間隔としたのは、このデータに基づきます。
障害高齢者の日常生活自立度は状態のよい順にJ→A→B→Cとランクづけられ、それぞれ1と2に分かれてJ1からC2までの8段階となる。ランクJは「障害を有するが日常生活はほぼ自立しており独力で外出する」で、J1は「交通機関等を利用して外出する」、J2は「隣近所なら外出する」。ランクAは「屋内での生活はおおむね自立しているが、介助なしには外出しない」、A1は「介助により外出し、日中はほとんどベッドから離れて生活する」。
J2やA1ぐらいの人も100メートルは歩けるでしょう。だから、バス停とバス停のちょうど真ん中に住んでいる人も、100メートル歩ければバスに乗れる。そんな発想でした。
ムーバスを利用できない人のために
では、ムーバスを利用できない層、この自立度でA2~B2の人の外出をどうやって保障するのか。それが次の課題となりました。
障害が重くムーバスを利用できない人に対しては、ドアトゥドア・トランスポーテーション(door-to-door transportation)のアプローチが前提となります。自宅から目的地まで送り届ける移送サービスが必要、ということです。
その具体的なニーズは、当時、老人医療費の付き添い看護料の支払い事務を担当していた市職員から寄せられました。市内在住の高齢男性が、在宅寝たきりの妻に関する移送料の償還払いを申請したものの却下となり、不服申し立てをした、というケースでした。
この職員が話を聞くと、妻は透析のために定期的に通院する必要があり、毎回タクシーを予約して通院していたそうです。高齢のためその費用負担もかなり大きくなっているようでした。タクシーに乗せる時もとても気を遣うそうです。
このような方への支援ができないか。介護保険が創設されてもこのような方々のための保険給付はなさそうだ。そこで、車いすでも乗れるような車両を定期的に利用できる仕組みをつくれないか、と庁内で検討が始まりました。
ちょうどこのころ、米穀店や酒店でも、顧客の高齢化に直面していました。来店して米や酒などを買っていたなじみのお客さんが、来られなくなってきた。米も酒も重いし、配達してほしいと。
すると配達に訪れた先でお客さんに買い物を頼まれたり、ちょっと郵便局まで乗せてもらえないかと言われたりする。どうも外出困難な人が増えてきたようだ。そんな状況になって、ドアトゥドアの移送サービスができないだろうか、と米穀組合からご提案いただいたのです。
そのアイディアは、米穀店などの商店主たちが空き時間を利用して高齢者を車で送る、というものでした。これはテンミリオンハウスと同じように、地域の皆さんの力を活かせる願ってもないご提案です。
そこで99年に研究会を設立し、翌年、実現に至りました。公共交通機関の利用が困難な高齢者や障害者の外出支援を目的に、福祉型軽車両を運行する移送サービス事業です。
なぜ名称が「レモンキャブ」なのか。最初、これをドアトゥドアトランスポーテーション事業と呼んでいました。でも略すとDDTになって、高齢者にとってはイメージが良くないですよね。ニューヨークのタクシーの通称であるイエローキャブに倣ってはどうか。これも、あまり評判の良くないイメージがあります。
そういった悪いイメージを与えるような事業名ではなく、市民に親しまれる名前を、ということで検討チームでいろいろな案を検討しました。
検討チームに加わっていたデザイナーの奈木捷雄さんが、それまでの議論を踏まえたうえで「お茶の間とか台所にあるレモンのような名前が良いのでは」と提案し、「レモンキャブ」という名称になりました。
奈木さんはムーバスのデザインを監修した方で、あのコロンとしたデザインも、「親しまれる車両となるように」という彼のアイディアです。
レモンキャブは軽自動車だから、住宅街の細い路地にも入れます。もちろん、車いすのまま乗れます。タクシーとの競合を避けるため、利用するには社会福祉協議会の会員になる必要があり、社協の年会費のほか、利用料は30分800円です。運行範囲は武蔵野市内および隣接する5市区で、発着地のどちらかが武蔵野市内であることが利用条件です。
運転手は運行協力員といい、福祉有償運送運転者講習を受講した商店主やボランティアが務めます。近所のお米屋さんや酒屋さんといった顔見知りの人が家まで迎えに来てくれるわけです。
地元の商店の皆さんが運行協力してくださるのは、すごいと思います。本業があるのに、予約を受け付けて運行する、武蔵野市の商店の皆さんの心意気を感じます。
国の施策にない「移動支援」
国の地域包括ケアシステムは、住まいについては要素の1つとして重視していますが、外出支援という視点が抜けています。家から外に出かける先については、デイサービスや通いの場が用意されています。
しかし住まいが保障されて出かける先があっても、自分の意思で外出する手段、そこまで移動する手段がフォローされていないと、出かけられません、結局、ADLやQOLは低下してしまうんではないかと思うんです。
ムーバスやレモンキャブは、高齢者が多少足が悪くなったとしても、ご自身で買い物や通院ができる、そういう自己決定や自立生活を保障した施策です。介護保険サービスの訪問介護には外出介助も含まれますが、けっこう制約が多い。でもレモンキャブは、運行範囲内であれば好きなところに行けます。
地域の足としてすっかり定着したレモンキャブは、コロナ期間中も、行き先を病院や福祉施設などに限定して運行を継続しました。
介護保険と同じ年に始まったので、そろそろ世代交代の時期を迎えています。運行協力員だったお父さんが高齢になって、息子さんや娘さんの世代にバトンタッチされるという、2世代にわたる例も登場しています。
レモンキャブのパンフレット
笹井肇(ささい・はじめ) 公益財団法人武蔵野市福祉公社顧問、社会福祉法人とらいふ理事長補佐
武蔵野市介護保険準備室主査、市民協働推進課長、介護保険課長、高齢者支援課長、防災安全部長などを経て2013年4月~2018年3月まで健康福祉部長。同年4月~2022年3月まで副市長。