在宅介護サービスの独自性とは
介護は、ただ事業所を立ち上げてサービスを提供すればいい、っていうものではありません。それはどんな業種もそうでしょうけど、とりわけ介護事業には、サービスの質が求められます。かといって質だけ追求してもだめで、量も必須です。量だけ追求すれば質は落ちます。両者のバランスが重要なんですね。
私はとにかく質を保ちつつ、量もなんとか確保しようと丸8年やってきましたけど、本当に困難が多い道でした。やっと続けてこられました。
在宅の介護サービスならではの重要なポイントは、医療系の在宅サービスとは全然違うところにあるんです。それが何か、わかりますか。たとえば訪問看護であれば、極端な表現ですが、必要な医療処置や身体ケアができるならどの時間帯に訪問してもOKです。10時に行こうが11時に行こうが問題ない。
一方、在宅介護、訪問介護や定期巡回は、支援が必要な方たちの日常生活をサポートするものです。たとえばモーニングケアなら起床を介助して、洗面して髪をとかす…整容ですね。それから着替えを介助して、朝食の介助をします。
どれも欠かせない支援ですし、どの人もだいたい同じ時間帯に必要で、ずらしにくい。夕方も同じで、夕食や寝る時間に合わせて訪問しなければなりません。つまり、特定の時間に職員の頭数が必要になるんです。それ以外の時間帯には、手が空いてしまう。この点が、経営の面でも運営の面でもすごく難しいのです。
訪問看護なら、大雪だから今日は訪問しないで明日行こう、ということができる部分はあります。デイサービスも、事業所が明日は休業、とすることは不可能ではありません(現実にはほとんどないでしょうけど)。だけど訪問介護や定期巡回っていうのは、そうはいきません。こちらが行かなきゃ利用者さんはご飯も食べられない、おむつも替えられないんですから。
そういう、生活に欠かせないルーチンの大切さを、もっとちゃんと踏まえて制度設計すべきです。移動時間の少ない大都市は、それなりにできるでしょう。雪も降りにくいし。ここ北杜市のような地方都市は、中山間地域の加算もとれません。豪雪地帯などかなり大変な地域しか、中山間地域の加算はとれませんから。大都市でもなく中山間地域加算もとれない“普通の田舎”は本当に厳しいです。
そういう状況にあって今できることは、目の前にいる、介護が必要で介護を求めている方たちに対して精一杯ケアを提供することしかない。そう思って仕事をしています。
介護に専門職が必要な理由
生活支援とは、日常生活をきちんと送ることへの支援です。健康な人も年取った人も、身体機能が低下している人も、日常生活を送るのはみんな同じ。日常生活って食べること、排泄すること、身体や居室を清潔にすること、移動することなど、具体的な中身は多岐にわたります。
そのなかには、ボランティアとかご近所とか、いわゆる「互助」として誰にでもできる部分も、もちろんあります。でもボランティアも親しい人も近くにいなかったり、コロナで人間関係が壊されたりして、おいそれとインフォーマルには頼れません。
自分の力だけで日常生活が送れない方を誰が手助けするのか。身内やご近所が担ってもいいですが、身内やご近所にできるのはプラスアルファの部分じゃないでしょうか。たまにお寿司やケーキを一緒に食べようとか。そうじゃない基本的な毎日の行動、毎日食べて出して清潔に暮らす、といった部分は、ちゃんと社会的に保障すべきです。
それは誰が提供するのか。一般市民でもいい、という考えも間違いではないでしょう。だけど、やっぱりその人をその人らしく尊重して、人権を守り、生活を支える、その人の自己実現を達成できるように支援する、そういう領域は専門職の仕事というか、一定の教育を受けて誇りをもって行う仕事です。ここを近所の知り合いがやると、却って逆効果になりかねません。
自分らしく生きられる支援をしたい
今のところ要介護1・2の生活援助は総合事業に移行しておらず、介護保険サービスで保障されています。でも、介護保険サービスはそれ以上のことはカバーしません。
私は、その人が自分らしく生きることを支援したい。十分に食べられないことはあるかもしれないけど、心は豊かに生きていこう。心はね。食べることだけが幸せではないかもしれないから。自分が生きようと思った通りに生きて死んでくっていう、満足だったと思える生き方を支援したい。
それには、介護保険とは異なる次元のサービスが必要です。介護の中の、食べたり出したりお風呂に入れたりするケアも大事だけども、そうじゃないところのケア。生きたいように生きて、それを全うするっていうところに重きを置いた支援をしたい。
決まった時間にご飯食べて、お風呂に入れてもらって、ありがとうございますとスタッフに感謝して、それで1日が終わっていく。そんな暮らしは嫌だという人が、思いのままに生きられるよう支えたい。
「介護施設には絶対入りたくない、介護してくれなくていいし野垂れ死んでもいいから、このまま家にいたい」とおっしゃる方がいます。いろんな望みがあります。私たちはそれに沿っていく。それが一番いいと思ってます。
人間は案外たくましいから、何とか生きていくんです。低所得でも介護を受けられるようにみんなで知恵を絞ったり、見守ったりしていきながら、できるだけのことをやりながら。
25年目の介護保険は制度疲労してるけど
介護保険ができて25年目。サービスの種類は多様化し、新しい類型ができて、そういう意味では充実してきたと思います。小規模多機能や看護小規模多機能のように、足りない部分を補う、利用しやすいサービスを実現させてきました。定期巡回もそうでしょう。
介護保険ができる前の措置の時代から、自由にサービスを使える時代になって、介護保険を作ったことは正解だったと、心から思います。そのおかげで介護が身近になって、介護サービスを受ける権利も定着しました。介護の質に対しても住民が関心をもち、口出しや手出しするようになってきました。
危機感危機感って言ってる割には、そんなふうに、まあまあ回ってると思える部分もなくはない。介護が受けられず餓死したり凍死したりするようなケースも聞きません。認知症の人が行方不明になって亡くなることはありますが、介護が足りず、あっちもこっちも悲惨という状態には、なっていないように映ります。
私は介護の必要な方ばかり見ていますが、健康維持に努めて元気な高齢者も多いです。平日の昼間のジムは高齢者ばかり、というでしょう。「わがままハウス」の入居者もみんな90代で、認知症の方もいますが、それほど大きな病気はありません。なんとか、お互いに助け合い笑いながら過ごしています。介護保険の制度疲労を実感しつつ、問題点に声を上げながらも、私はさっき話したような支援を続けていきます。
宮崎和加子(みやざき・わかこ) だんだん会理事長
訪問看護のパイオニアで認知症ケアの先駆者としても知られる。東京都初の訪問看護ステーション所長や全国訪問看護事業協会事務局長などを歴任した。